それは...
夜な夜な、仕事帰りからの
「ラジオ体操」!!!
です。笑
しかも第1から第3まで。笑
(計15分くらい?)
ずっと運動不足を気にしていた私達...
それぞれジムに入ったにも関わらず、結局通えず、先月解約しました。。

その代わりのラジオ体操です。(バランスボールも楽天でポチりましたよ〜いつくるかな...
)
)ジムへ行く準備、往復の時間...などと比べるととても楽チンで、しばらく続けられそうです。
ラジオ体操はYouTubeに載ってるもので、第1・第2は公式のものがあるのですが、第3は着ぐるみを着たモカというのが踊ってる(?)ものしか見つからず、多少不信感を抱きつつも、モカのする通りに真似してやってます。笑
ラジオ体操ってピアノ伴奏なんですよね。夫とやってると
「あ、転調した。」
「お、ここでまさかの三拍子!」
「ここでピアノの溜めが入るから辛いよね。」
などと、今まで気付かなかった発見があり、毎日真剣に取り組む自分達に半笑いしながらやってます。
さてさて、今日は久々過ぎるピアノ以外の話です。(こういう事を考える時間的、精神的余裕がようやく出てきたのかな...)
ある晩、夫と話していて
「人間やっぱり謙虚さが大切なのかね」
という話になり、謙虚さについて考えている今日この頃です

そもそも謙虚さって何ですかね〜
いまいちまだ、理想的な「謙虚さ」が見つからないのですが...
へりくだることとも違うし、自信を持たないことでもないし。。
その逆のおごり、横柄さ、勘違い...などは、すぐに想像がつくのですが

なぜそんな話になったかと言うと、上の立場になると、自分と違う意見を言ったり、間違いを正してくれる人がいなくなるんだね、という話から...(具体的な例は伏せます。笑)
だから自ら過ちに気付いて、それを正していくためには、常に「謙虚さ」をもって自問自答する事が必要なのかな。。と
特に上下関係など、役回りが固定された世界(上司と部下、先生と生徒、親と子、時には夫婦も?)では注意が必要で、どちらか強い方が自分の思う「正義」を振りかざして、勘違いし続ける可能性が高い。。
弱い立場の人は従うしか選択肢がなかったりします。
ありがちな例をあげると
「客」と「店員」
の関係性。
いますよね〜

客の立場を利用して、店員に強く出る人。
(クレーマーもその一種かな。。)
なぜ突然、態度が変わってしまうのか。
かくいう私も、昔はそのような傾向がないとは言い切れなかった気がします

逆に夫とはかれこれ15年くらい一緒にいますが、ほとんどそれを感じた事がありません。
何が違うのか。。。。
推察ですが、普段抑圧されている人の方がその傾向が強くなるのではと思います。
日常生活で無理をしていると、どこかに歪みが出てくる。。
表の顔を作れば作るほど、裏の顔(二面性)が出来てしまう。。
昔の私はかなりその傾向があったと思います。
人に好かれようとするあまり、本当の自分を押し殺して人に合わせるため、楽しくない。。を通り越して、人付き合いが苦痛。。
その「無理」がフラストレーションとなり、どこかで発散されてしまう。。
一方、夫は時に
「ノリ悪いね〜」
「はしゃぐことある?」
と思われるくらいのマイペースを守って生きています。笑
周りに合わせられない事は、一見良くないようにも考えられますが、それは回り回って自分のため、そして相手のためにもなるのを見てきました。
誰も二面性のある人を信用はできないですもんね





今の私の場合、自分の家という閉じた世界のピアノ教室で、「先生」という立場で仕事をしているので、見方によっては、生徒さんに大きな強制力をもっているといえます。
(全然言うことを聞かない生徒さんがいっぱいいますが...
笑)
笑)有り難いことに私の生徒さんは、長く続けてくださる方ばかりですが、私がそれに甘えて、勘違いすることがないようにしないといけない。。
でもそれは、決して生徒さんを甘やかすことではなく、取り入ることでもなく、ただお互いが対等な関係で、お互いが自然体でいられればいいのかな、と思います。
そんな空気感のピアノ教室にしていけたら...と思います



あと閉じた世界にばかりいるのも危険ですね。いつも同じ関係性が確立されてる場所では、お互いに気付けない事がたくさんあります。
一歩外の世界に出て、人と出会って、(その人から指摘されないまでも)その人の生き方を見て感じる所があるかもしれないし、何か問題が起きて学ぶことがあるかもしれない。
神様は一生、そういう学びの機会を与えて下さってるんだと思います

その時に「謙虚な心」を持っていた方がきっと気付きも多いですよね。
何だか思いつくままに書いてしまいましたが、これから謙虚さを考察しながら、実践していきたいと思っている次第であります


