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還暦過ぎたピアニスト

青が好き。色も、響きも、そしてその意味も。若々しい躍動的なイメージがあり、未熟な初々しいイメージもある。「ヨーロッパの赤には、青が一滴」という発想も素敵だと思う。シニアになった今も、できれば青の近くで、楽しみたい・・。

ウィーンを訪れたのは二年ぶりだけど、前回は時間が無くてオペラ座で「くるみ割り人形」を鑑賞したのがせいぜいだったので、今回の様にゆっくりと街歩きをしたのは、随分久しぶりである。


「おお我が街、ウィーンよ・・。」という気持ちで、街並みを味わった。


街並みと言えば、40数年前、ウィーンに着いて間もない頃に、先生のお宅へ初めて伺った時。


決まったばかりの下宿から、路面電車に乗って、リンクと呼ばれる環状線を走りながら、車窓から見た周りの景色。


あの情景は、今もありありと目に浮かぶ。


シュヴァルツェンベルグから進んでいくと、まず右に見えるのがオペラ座の、どっしりと黒ずんだ建物だった。


それから電車が大きく右に曲がると、左前方には、中央のマリア・テレジア女帝の銅像を挟んで、まず美術博物館、そして科学博物館の、堂々としてやはり黒っぽい建物が向かい合って建っているのが見えてくる。



ハプスブルグ王家の紋章「双頭の鷲」が睥睨する王宮門が、電車に乗る自分の後ろにそびえているのにも気づかぬ間に、電車はギリシャ様式の白亜の殿堂、国会議事堂前を通り過ぎていく。


沈んだ色調の建物が並ぶ中で、一際白く輝く議事堂の隣は、ゴシック建築の市庁舎だ。


左右対称に黒光りする重厚な建物が、中心の時計台を挟んで両側に広がる様子は、若かった私には「これぞ、市庁舎!」という風に、荘厳に思えたものだった。



それが、今回・・。



今までにも、主要な建造物が次々と洗浄されて、明るい色調に変貌していくのは、経験済みではあった。


最初は、シュテファン教会だったかな・・。


或るときは、オペラ座は既に洗浄済みで、「双頭の鷲」の紋章を戴く王宮門が丁度半分ほど洗浄されていたこともあった。


二本の塔で目を惹くヴォティーフ教会が、お掃除の途中、といった感じで一部黒く残っていたこともあった。


でも今回。


路面電車に乗っていて、「ラートハウス(市庁舎)!」というアナウンスで降りてみると・・。


既に白亜の議事堂は通り過ぎた筈なのに、大きく育った木々の間から目に入ってきたのは、白く輝いてレース模様を思わせる様な、細かく彫刻されたゴシック様式の市庁舎だった。

10数年前、何かを記念しての「ヴィスコンティ特集」が、新宿の映画館で開催されて、私は「ルードヴィッヒ」を観に行った。


若い頃、「ヴェニスに死す」を見ていたけれど、ヴィスコンティ特集で購入したパンフレットで初めて、この映画も彼の代表作の一つであるのを知ったのだった。


日をおいて、「山猫」も観に行った気がする。


「ルードヴィッヒ」は、バイエルン皇帝ルードヴィッヒ二世を描いているのだが、従姉に当たるオーストリア皇后エリザベートの役を、かつてエリザベート皇后のニックネームである「シシー」という映画で、一世を風靡したロミー・シュナイダーが、ここでも演じていたのは、映画に親しみを覚えた理由の一つだ。


更に、主人公のヘルムート・バーガーが、オーストリアにあるホテル王の息子で、本名がシュタインベルガ―だというのを、直後に泊まったドイツのボーデン湖にある、素晴しい景観のシュタインゲンベルガー、アイランドホテルの名前と勝手に混同して、一層親しみを感じてしまったのは、我ながら愛嬌である。


そして、ユーチューブ・マニアとなった数年前、BBCのドキュメンタリ番組で、ヴィスコンティの特集をみたのが、何といっても印象深い。


ヴィスコンティ自身が、伝統ある公爵家に生まれ育った風格に満ちていて、その威厳ある様子は、既に映像の世界に登場するおとぎ話の様でもあった。



何年か前、主人のお供で、スェーデンに一週間程滞在したことがある。


道を歩いていると、「ヴェニスに死す」の美少年を思い起こす様な、ブロンドの可愛い男の子たちを、沢山見かけた。


ある日、夫人同士のゆったりしたランチの後、ドイツのウルリケさんと簡単なよもやま話をしていた時に・・。


「ウルリケは、元々男の子の名前のウーリッヒの最後にe が付いて、女性名になったのよ。」と言うので、「もしかして、エーリッヒと語源は一緒なのかしら・・?」と見事にはずした質問をして、それからエーリッヒ・ケストナーの話題になった。


「ケストナーの作品は好きで、色々読んだけど・・。彼は、ノーベル賞を貰ってたかしら・・?」と、スェーデンならでの話題で訊いてみると、「彼は受賞してないと思う・・。受賞者は、トーマス・マンだわね。」と、彼女はマンがお気に入りの様子だった。


「ケストナーは子供用の小説を書く作家だけどね。トーマス・マンは、もっと深い世界で全然違うわね。魔の山とか、素晴らしいわよ。」と言っていたっけ。


それで、私が思い出して「トーマス・マン、と言えば、Tod in Venedig の映画に出てくる美少年は、スェーデンの俳優さんだったじゃない?」と言うと、「そう。ビョルン・アンドレセン!」と、すぐに名前が出てきたのは、さすがにヨーロッパの人であった。



時々、古い映画のDVDを見る。


ヴィスコンティの山猫、だとか。カサブランカ、レベッカ、禁じられた遊び、めぐり逢い、ヴェニスに死す、等々。そして、「太陽がいっぱい」


これが、こんなに悲しい映画だとは思わなかったなあ。


アラン・ドロンの、余りの美貌さ故に、そう感じるのだろうか・・。


別にアラン・ドロンのファンという訳でもないし、「山猫」に出てくるアランドロンは、それほど輝いている様にも思えないけれど・・


若かった日に見た時には、輝く太陽とか、地中海に浮かぶヨットとか、南イタリヤの古い街並みとか、そういったバックグラウンドだけで十分だったのかも知れない。


今、年齢を重ねてみて感じる、この悲しさは一体何なのか・・。自分は殺される側、つまり富豪側の人間では無い、という現実的に色分けした視点?



確かに、若い青春の日々には、無限とも思える可能性があった。


「何処かで、王子様が待っているかも知れない」という、シンデレラ・ストーリーも根強かったし・・。


自分との年齢差を考えて、英国のチャールズ皇太子さえもが、そのテリトリーに入っていた位だから・・。


そしてシニアとなった今、現実を見据えてアラン・ドロン側に軸足を置き、殺人を犯した美しいチンピラの哀愁に、感情移入したのだろうか。



これって、もはや夢を追わなくなったシニアという事なのか・・?


それとも、アランドロンの様な美貌の男性に心が揺れる、未だに不惑へと到達できないシニア、という事なのだろうか・・?




シャガールの若い頃の作品に「安息日」という絵がある。


ユダヤ教であるシャガールの描いた、安息日を過ごしている家族の様子。


大きな柱時計が時を刻み、家族は所在なさそうにテーブルを囲んで座っている。


ユダヤ人と言えば、ベニスの商人に代表される意地悪な金貸しのイメージもあるけれど。


周知の様に、学問や芸術の世界では、ユダヤ人抜きには語れない程、優れた人々を輩出している民族である。


そして、安息日の絵。


ユダヤ教に詳しい訳ではないけれど、安息日とは、何もせずに神様の為に過ごす一日らしい事は、小説などを読んでいると想像できる。


そうなのだ。


ユダヤの人々は、週に一日何もせずに過ごす。


つまり、人生の七分の一を、彼らは何も行動せずに過ごすのだ。


ゆったりと過ごしながら神様と対話していれば、人生に関して、歴史の流れ、数学や自然に関して湧き上がる疑問、何かを発想をしたり、小説のテーマや音楽のモチーフ等も頭の中に浮かび上がるのかも知れない。


そうやって何もせずにゆっくりと流れていく時間こそ、形而上学的な発想を無限に膨らませていく土壌であるという事を、歴史上の人物たちは語りかけてくる・・。


私とは、真逆の世界。

ロダンが「Rodin」だと知った時は、ちょっとショックだったなあ。ステンレスが「stainless 」だと知った時、程ではないにしろ・・。

カタカナの向こうには、西洋という世界が広がっているんだ、というある種の実感だったのかも知れない。


上野の西洋美術館の前庭に、ロダンの「カレーの市民」の群像が、野ざらしで立っている。今も、多分・・。

若い頃、あそこの前を通ると時折、柵の外から暫く眺めたものだった。

先日、名古屋の山崎美術館の前を通った折に、玄関前に「カレーの市民」の一体が飾ってあるのを見て、突然思い出した。

依頼主の趣旨からは異なった作品、という点で、レンブラントの「夜警」とも共通するエピソードが、若かった私を惹きつけたのだと思う。

ロダンと言えば、やはり某大学のキャンパスに野ざらしで立っている、バルザック像も印象が強い。

これも、文豪を部屋着の姿で描いて、発注者の文芸家協会が受け取りを拒否したという、いわく付きのブロンズ像だ。

じっと眺めていると、製作者の意志が突き刺さってくる様である。

ブロンズに関してのレプリカの意味が、私はよく解っていないのだが、「地獄の門」にしても、「カレーの市民」や、「バルザック像」にしても、様々な場所、それも屋外でよく見かける。

絵画と違って、美術館の企画展で並ぶ必要も無く、それらを独り占めして眺める事ができるとは、何て素晴らしい事だろう。




「『大いなる沈黙』をみて」、というコーナーが、「ほぼ日刊イトイ新聞」で始まった。


これから上映される、新しい映画の題名である。


フランスにある厳格な男子修道院を、BGMもナレーションもなく撮影したという、ドイツ人監督の描いたドキュメンタリー映画らしい。


其の映画について、対談をしているコーナー。


そこで、山伏でイラストレーターの坂本大三郎さんが語っている、次の言葉が印象に残った。



『山を歩いているときには、ぼくらも、
しゃべってはいけないことがあるんです。

でも、そういうときに限って、心の奥には
いろいろな言葉が浮かんでくるので‥‥。』



言葉を口にしない時、人の心の中には、何があるのだろう。


私は残念ながら、考え深く無口、というタイプではないのだが、だからといって、すらすら言葉が出てくる方でもない。


だから、文章を書くのが好きなのかもしれないが。


言葉は、一度口にしたら、もはや取り戻す事は出来ない。言いなおす事は出来ても、一度発した言葉は戻ってこない。


でも文章は、書き直す事、もっと高度な表現をすれば、推敲する事ができるので、気が楽な面がある。





沈黙の時、人の心の中には、何があるのだろう。


沈黙とは、言葉を口にしないという状態だけど、その奥行きは想像以上に深そうである・・。


無口と言われる人が、時折言葉を口にすると、それはまるで氷山の一角の様だ、と思える事もよくあるし・・。




週間文春を読んでいたら、林真理子さんの随筆の中に「勝見洋一さんをしのぶ会」という一文があった。


桐島洋子という、気が強そうで、一回り程も年上の「才女」と結婚した人、という程度しか知らないのだけれど、何故かとてもショックを受けた。


早速Wikipedia で検索すると、今年の4月17日に亡くなっていたらしい。


其処に書かれていた文章から、色々考えてしまった。


人生のはかなさは、言うまでもないけれど、「しのぶ会」を取り仕切っていたのは、離婚した桐島洋子さんだったとか、64歳という年齢とか、病名とか・・。


桐島洋子には、私がまだ独身だった頃から結婚した少しあと位まで、かなりはまっていた。


子育てに関しては、相当影響を受けた。


朝日新聞に連載していた「マザーグースと三匹の子豚たち」は、毎週楽しみに読んでいたし、池田満寿夫の名前を知ったのも、桐島洋子がらみだったなあ・・。


まだ、テレビを見ていた時代で、番組の中で、表情は少ないながら早口で、バッサバッサと切り捨てる様にコメントする様子は、中々かっこよかった。


当時珍しかった「未婚の母」というキャッチフレーズも、団塊の世代の私達に、様々なメッセージを送ってくれたと思う。


あの時代には、自立した女性の筆頭という印象があった。


読み続けるうちに、少しずつ今でいう上から目線が気になり始めた頃、突然美術鑑定家と結婚するという、その潔い転換ぶりも、又鮮やかだった。


勝見洋一さんに関しては、桐島洋子のエッセイで読むだけだったが、其処に現れる人物像は、スマートな江戸っ子というか、人生そのものがお洒落な人、という印象であった。



こんな風に、頭から離れないのは、年齢だけが理由なのだろうか・・。



9月のコンサートで演奏する、ピアソラの曲。


編曲者のZiegler が、Ax と録音した、二台ピアノのためのタンゴ集のCDが、昨日届いた。


「タンガータ」は、その二人が日本で演奏したらしい映像が、ユーチューブで見つかっていたので、既に聴いてはいたのだが、「リベルタンゴ」が素晴しい。


そして、Ziegler 自身が編曲した、楽譜があるのが凄い。


クラシック音楽の様に、まさに楽譜通りに弾いているのである。


というよりは、楽譜が出版された方が大分後の様だから、Axの為に書き起こしたのかもしれない。


まず、ピアソラが楽譜を書いたというのが、私には驚きだったけれど、前身はジャズピアニストだったZieglerが、ピアソラの楽団の一員として弾いていた作品を、楽譜にしたというのが、画期的である。


練習していて、全く違った楽しみがある。


世界観が違う、とでも言えば良いのだろうか・・。


アルゼンチン出身のピアニスト、アルゲリッチの弾いている「リベルタンゴ」が又、鳥肌ものだ。


映像を見ていて、タンゴのリズム感と、アルゲリッチの和音の弾き方が、ピタッと繋がった気がした。


バックグラウンドとは、実に奥の深いものだ。

アメリカに引っ越したのは、娘が一歳半の10月だった。


娘は、やっと単語を覚え始めた頃で、初めての子供なだけに親は色々教えては、楽しんだものだった。


電気を点けると、「チュイター!」と叫ぶので、面白がって何度も電燈を点滅させたり・・。


主人が仕込んだ、「ハー・オー・ダー・ユー?」と訊くと、指を一本立てて「ワン・・」と答えるという赤ん坊芸は、孫がもうすぐアメリカへ行ってしまうのを寂しがっていた、祖父母たちには大受けであった。


アメリカに引っ越して、二歳になったころ、娘は現地のナースリー・スクールに通った。


朝、友達のママに会うと、「ハー・ワー・ユー?」と声をかけてくれる。


それは多分、娘にとって初めて聞いたフレーズだったのだろうと思う。


幼いなりに頭を巡らせたのか、娘は二歳になって覚えた、二本指を立てて「チュー」と答える赤ん坊芸を、小声でやってみせたのだった。


ところが、二本指を立てた娘を見て、ママたちはそれをピースサインと受け取ったらしく「オー、ザッツ・ファイン!」等と、優しく対応してくれるのだった。


これで味を占めた主人は、一歳下の息子が単語を覚え始めた頃に、「足りないの、何処?」と訊くと手で頭を指す、という赤ん坊芸を仕込み、これは日本人のパーティで結構受けた。


帰国して後、暫くして息子に「足りないの何処?」と訊いてみると、やや成長した息子は、「無くなった・・」と答える様になった。


何を考えて、その返答が出てきたのか、今となっては知りようもないが・・。


ちょっと子供で遊び過ぎたかなあ・・。

リヒヤゥルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」の、東京公演の映像を見た。


日本語の字幕スーパーが付いているお蔭で、オスカー・ワイルドの脚本がよくわかった。


Wikipedia で「サロメ」を調べると、その異常性などから多くの芸術作品のモティーフになってきた、と解説されている。


実在の人物で、洗礼者ヨハネの時代に、自分の欲望の為に意志を貫いた女性。


それまでにも、権力者の傍らにいて、己の欲望を優先させた女性たちは数多く居ただろうと思うけれど、大半は権力で欲望を成就させたか、逆に狂女として片づけられていたのでは・・。


サロメの名だけが、特に歴史上に残ったのは、言うまでもなく相手があのヨハネであり、神を恐れずに意志を貫いた女性、というのが特別な訳だけれど。


しかし、あの時代に、女性がそこまで自己を守り通した、というのが単なる狂女との違いだったのだろう。


旧約聖書を只拾い読みしている身で、大きな事は言えないのだけれど、あの世界観の中での女性達は、やはり男性のあばら骨からつくられた性に過ぎない、という扱われ方をしているな、と思う。


その時代の、サロメである。


そして、サロメやヨハネを題材にした、絵画やオペラ、演劇等は言うに及ばず、愛する人を独占するために、その人を殺してしまうというドラマは、今や現実の世界にまでも溢れている。


その中で、高校時代の英語の教材で出会った、フォークナーの「エミリーへの薔薇」は、さすが不気味さでは群を抜いている。