北海道 小さな冒険記

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水鳥の休息地

 

夕方、カメラを持って近くの水辺に出かけた。

ここは水鳥達の休息地。

水辺にはたくさんのオナガガモが羽を休め

頭上にはオオハクチョウの群れが

行き来している。

背後に映る大雪山の山並みはまだ真っ白だ。

まもなくこの鳥も北の地へ向かい、繁殖に備えるだろう。

 

 

夕刻、彼らの鳴き声がひとつの和音となって周囲に響き始める。

落日と共に水面全体が水鳥で埋め尽くされた。

 

 

春の景色、そして春の音

 

 

 

 

早春の風物詩

 

 

「早春の風物詩」。

毎日にぎやかな空でしたが

そろそろ北に向かい始めたようです。

 

 

また秋に。

 

 

 

 

イクパスイ

 

「イクパスイ」

 

アイヌ民族の信仰の中から生まれた

「カムイ」と対話することのできる祭具。

 

言葉の代わりに人間の祈りを

「カムイ」に伝達してくれるといいます。

 

イクパスイには様々な彫刻が施されている。

 

ふっと、

「小さな船でクジラを追う姿」

を施したイクパスイに目がとまった。

 

記録文献によると、近代のアイヌ文化史では

「クジラを狩猟の目的として出漁していた」

という記録はほどんどないという。

 

 

クジラを食し、生活物資や和人への交易品

として利用していたというのは

時折打ち上げられるクジラ(寄りクジラ)の場合が

多かったらしい。

 

そして積極的に漁を行っていなかったのは、

どうも技術的に難しいという理由だけはないようだ。

 

同じ鯨類であるシャチは”沖にいる神”

「レプンカムイ」として崇められていたが、

クジラはシャチとははっきりと区別されていて、

シマフクロウやヒグマやシャチの神送り、

いわゆる「イオマンテ」

のような信仰はなかったと考えられている。

 

「クジラ祭り」や「クジラ送り」と言われる行事は

「ノミ」という

クジラを得た喜びに値するものであり、

シャチやクマのように「神」に値する観念は持っていなかった。

 

日常的ではなかったクジラ漁、

クジラに対する特別な信仰心も無い。

となると

ますますこのイクパスイに刻まれた

「クジラを追う船」

が不思議に思えてくる。

 

では、近代アイヌ文化が成立する以前の

縄文、擦文、オホーツク文化時代に

先住の民は「狩猟としての捕鯨」を

行っていただろうか・・・。

 

私がこのイクパスイの彫刻を見てすぐに想像したのは、

アイヌ民族の祖先と、「オホーツク人」との接触である。

 

約5世紀~10世紀という短い時間の中で

北海道に渡来していた「オホーツク人」は

海洋狩猟民であり、クジラや海獣の漁を糧としていた。

出土する遺物も海洋生物をモチーフにしたものが多い。

 

この民族の分布が道北からオホーツク海沿いに点在していた時代は

アイヌ民族の祖先である縄文人や擦文人と

棲み分けがなされていたと考えられているが、

後にこの「オホーツク人」が北海道在来の「擦文人」に

接触、そして融合をして

近代のアイヌ文化に変貌していったと考えると、

クジラ漁もごく一部の間で受け継がれていた可能性がある。

 

実際にアイヌ民族のクマ送り(イオマンテ)の起源については、

海洋狩猟民でありながらヒグマに特別な信仰心を

抱いていたオホーツク人の影響を受けた可能性が高いという。

 

このイクパスイに施された

「クジラを追う船」

 

その情景はもしかすると近代のアイヌ民族の中に流れる

「遠い祖先と伝説の記憶...」

 

そんなことを夜更けまで考え、

また少し

北海道の多様に満ちた歴史と

奥深さにココロ惹かれていくのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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