残すこと Reminder | ありのす

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混沌とした毎日の日記
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ベルリンの紀行を書きながら、全く別の一冊の本を読み終わった。

「津波の霊たち」(Ghosts of the Tunami、リチャード・ロイド・パリー著)という、311の震災を扱ったルポルタージュである。大川小学校を主題として取り上げている。

他の311関連の本をほとんど読んだことがないのだが、この本に関しては、外人の記者(日本在住歴は長い)の視点というものがいい方向で作用しているように思える。

日本のジャーナリズムやニュースのほとんどが、災害について情緒的な方向へ流れているように思える中で、このリポートは非常に客観的で多くのデータやインタビューをもとに緻密に構成されている。にも関わらず、冷静な文章が逆に刺さる場面が何度もあった。現地で当時何が起きていたか、事実の一部を伝える本だと思う。

 

で、この本の中で大川小学校の遺築を残すかどうか議論になる場面があって、ちょうどベルリンの壁のことを書いていたところだったので、国民性の違いというか、考え方の違いを実感することになった。残すことが100%良いことだとは言えないかもしれないが、災害や歴史を忘れないようにするために、また後年に生まれた世代に伝えるために、現物が残っていることは説得力を持つものだと思う。

記念碑や記念館を作ることより真に迫ってくるものはやはり実物以外にない。

 

ドイツの人や政府はどうしてかそのことを完全に理解しているように見える。ヒトラーの暗黒史とその後の東西分割という歴史を抱えつつ、それを恥と思う前に、いや思うからこそ、資料を収集し遺築を保存し、後代に完璧に伝える。その働きのせいで、いまだに膨大な実物を、ただの観光客である私たちも自分の目で見て、自分の頭で考えることができる。

その体験は私にとってとても印象の強いものだった。

未だにフラック(高射砲台)というマイナーなものに興味があるのも、ばかげて見えるほど巨大な建築のインパクトがまずあったからだと思う。こんな膨大なコンクリの塊を何のために作ったのかという興味が最初にあった。

 

117のニュースの中で「震災を忘れないように」とインタビューを受けたほぼすべての人々が言っていたが、日本の建築が燃えやすいことを差し引いても、日本は残す努力をしているといえるだろうか。

当事者の方にとって辛いことではあるが、実物を残すことは何よりのリマインダーになる。

 

ベルリンの壁の実物の前に立ち、そんなに高くないんだな。この壁をどんな人が超えようとしたのか、亡くなった人はいるのだろうか、近所の人はどんな思いで暮らしていたのだろうか、と考えることは記念館で資料を見ることとはまた別の貴重な経験になったと思う。

こういう場所が日本にももっとあってもいい。

行ってよかった。