マウアーパーク Bernauer Strasse | ありのす

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混沌とした毎日の日記
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公園から大通りを南下。

実はベルリン2度目なのだが、にもかかわらず初回はほとんど壁を見なかった。

壁、ホロコースト関係の博物館とかも行かず。ベルリン=壁、というイメージがあまりに強すぎて逆に避ける、のパターン。

でもまあ今回、帰る直前に時間ができたし近くなので寄る。

壁より前にフラックに行ってる人はあまりいないだろうな。

途中で見かけた電気会社の何かの建物。

ベルナウアー通りという、当時東西ドイツの間になった通りに着く。ここだけ、当時のままの壁が残っているということ。

この車の下のレンガ部分は壁の緩衝地帯の名残らしい。

壁というと壁一枚を思い浮かべてしまうが、北朝鮮と韓国のDMZ(非武装地帯、軍事境界線)のごとく、壁の隣に数十メートルの空白地帯がある。

その緩衝地帯の土地が、壁がなくなった現在、妙な間隔の土地区画として残っている。

道端に当時の写真付きの壁の解説ボード。2番目の鉄条網を飛び越える兵士は、壁ができる前に敷かれた鉄条網の段階で、警備かなにかに当たっていた兵士が鉄条網を飛び越えて西側に逃亡した瞬間の写真。

この段階で街が二分されると察知した人間は多くなかったと思う。

鉄条網の向こうとこちらで、これは何なのかねえと言いたげに立ち話するおばさんたちの写真を別の場所で見た。

世界が一変する瞬間がこうして写真で残っているという点では、壁は確かに劇的ではある。
でもなんか、観光地としてそれを単に観光するだけの人間にはなりたくないなという気持ちも個人としてはある。だから来づらかったのかなあと、実際行ってみて思う。
詳しく知ってほしいからベルリンの街のあちこちにこれだけ詳しい資料が保管されているのだろうね。
ベルリンの壁の跡はこういう形でずっと残されている。
28年は長いな。
壁の犠牲者に捧ぐ、とか書いてあるようです。
鉄棒は壁を示しています。
通りと建物の間にこんな、わけのわからない雑草地がある。緩衝地帯の名残かな。
雑草地の前にあったのだが、どうも衣服のリサイクルボックスらしい。
アイデアはとてもいいのだが、ボックスが汚くてなんかリサイクルされる感じがしない・・・。でも日本でもぜひやってほしいと思う。
 
ここからそのままバスに乗って、マウアーパークに着いた。実は壁記念センターに行こうとして、逆に行ってしまった。道路の向こう側がマウアーパーク。
ここは市内最大の蚤の市があることでも有名。しかし足元は舗装されてなく土なので、雨が降ると悲惨らしい。ここも壁の緩衝地帯と後で知った。この斜面がそう。
行ったときは何で公園が斜面なんだとちょっと不思議でしたが。足腰を使う公園です。
乾燥した土とハゲハゲの芝生(こちらではこんな荒れたのは珍しい)が広がる斜面。椅子も遊具もあるけど、木と雑草がばさばさ茂っていてちょっと荒れた雰囲気。
でもくつろいでいる人もいた。
下に見える平らな部分では工事が進んでいた。
ここにも残る壁に、高校生か中学生、一般人の方々がせっせと落書き中。どういう集まりなのかわからないが、お絵かき公認ぽい。
ベルリンの落書きは有名だが、私が見たのはあくまで落書きっぽかった。
ベルナウアー通りをバスで再び逆流して、壁記念センターへ。同じ通りにあるのでなんか混乱しやすいかも。とにかく壁通りであることは確か。