マーラーの交響曲についての私見をこれから綴っていこうと考えています。
暫くの間、このブログに断続的にアップしていきますので、
ご精読いただければ幸いです。
ベートーヴェン以降の作曲家の交響曲を、
作曲年代順に聴き進めていくと、
その作曲家の音楽家としての彫琢が深まって行く様が
浮き彫りになっていきます。
ベートーヴェン然り、シューベルト然り、
メンデルズゾーン然り、シューマン然り、
ブラームス然り、
ドヴォジャーク(ドヴォルザーク)然り、
チャイコフスキー然り、ブルックナー然りですが、
何といってもその圧倒的な量感や楽章数の変節や
声楽の多岐にわたる導入等、
マーラーのその道のり・足取りは別格の存在感があります。
さて、まず最初の交響曲について始めましょう。
グスタフ・マーラーの交響曲第1番「巨人」は、
正にマーラーの青春の息吹といった趣の作品です。
また同時に、初めての交響曲ながら、先達諸巨匠の
名作に一歩も引けをとらない風格さえ感じられます。
まず、第1楽章のソナタ形式の扱いから何とも大胆です。
第一主題が牧歌的であるにもかかわらず、
長大な展開部を経た後に圧縮した再現部に突入し、
その再現部事態が終結部(コーダ)として機能するという
何とも心憎いばかりの構成を獲得しています。
また、完全4度音程を基調として空間的な序奏は、
後の更なる大交響曲群に見られる楽想の萌芽と
見てとれます。
その完全4度音程は、他の交響曲でも基本動機の
主要構成要素としてしばしば活用されます。
作曲当初は5楽章構成の交響詩として構想されたこの作品、
じつはここに「花の章」という副題が付せられた楽章が
挟まれていたのですが、最終的には削除されました。
20世紀突入間近という後期ロマン派の時代の流れの中で、
標題音楽(交響詩)路線を進むのか、
絶対音楽(交響曲)路線で進むのか、
迷いもあったであろうマーラーの心情が伺われます。
第2楽章は、マーラー流のスケルツォです。
スケルツォとしてはやや遅めのテンポながら、
若々しさと独特の存在感があります。
第3楽章は、不思議な感じがする緩徐楽章です。
交響詩の段階では「カロ(Callot)の画風の葬送行進曲」
という副題が付せられていました。
マーラーのユダヤ人としての気質や感性が
色濃く反映された音楽なのでしょうか。
とにかく独特の雰囲気に支配された音楽です。
第4楽章(終楽章)のソナタ形式がまた独特です。
第一楽章に比べると、提示部・展開部・再現部・終結部の
均等に近くバランスしていますが、
展開部の終盤から再現部の冒頭にかけては重層的で、
第二主題が先に再現している
シンメトリック構成と見ることもできますし、
展開部の最後に属音保続音上で第二主題が変容している
という風に捉えることも可能です。
マーラーの場合、これを決めつける必要はなく、
どちらにとっても良いような柔軟性と重層性を持っている
と考えた方が良いと私は思っています。
圧倒的で輝かしい結尾は、ベートーヴェン以来の
「闘争から歓喜へ!」という交響曲のモットーの
正当な継承者をアピールするに充分と言えるでしょう。
さて、このような論理的な構成についての解説はともかく、
この作品から放射される若々しいエネルギーは、実に魅力的です。
そういった側面をロマンたっぷりに歌い上げた名演は、
下の写真(LP/CBS-SONY SOCL-1054)の、
レナード・バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィル盤が、
未だに私のベスト・ワンです。

若い方々も是非、演奏時間約55分のこの作品を、
じっくり味わいながら聴いてください。
































