ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ
(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich / 1906-1975)の
交響曲(全15曲)の探訪を先週からアップしています。
<交響曲第1番>(1926)が大評判となって、
国際音楽界に衝撃的なデビューを果たした
ショスタコーヴィチは、1927年には、
前衛的な気概にも満ちた単一楽章構成による
<交響曲第2番「十月革命に捧げる」>を作曲し、
1929年にはより祝祭色の強い
<交響曲第3番「メーデー」>を発表しました。
ソヴィエト連邦建設の推進を賛美する作品を
書かざるを得ない事情が、きっとあったことでしょう。
ところがその後、スターリン体制になると、
芸術界の前衛的な試みは弾圧されるようになり、
1936年には共産党機関誌"プラウダ"で批判を受け、
ショスタコーヴィチはソヴィエト社会で窮地に追い込まれました。
折から初演の準備を進めていた<交響曲第4番>の初演を撤回して、
1937年に作曲した<交響曲第5番>で何とか名誉を回復しました。
その<第5番>は、社会主義リアリズムに迎合した作品として
長らく語られてきましたが、作曲家の死後に公表された
様々な証言資料等が明るみになるに従って、
体制批判のメッセージを巧妙に仕込んだ作品であることが
知られるようになってきました。
1939年に書かれた<第6番>は
やや変則的な3楽章構成でしたが、次のこの<第7番>では
オーソドックスな4楽章構成に立ち戻り、
しかも、空前の規模を誇る大作になっています。
第二次世界大戦の最中、ナチス・ドイツ軍に包囲された
レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)市内で
1941年に作曲されたと言われるこの交響曲は、
初演当時、ナチスのファシズムへの世界的な反感の中で、
共産圏のみならず非共産圏においても高く評価されていました。
しかし、あまりにソ連のプロパガンダを強く感じさせる内容
にも受け取れるために「壮大なる愚作」と揶揄もされました。
しかし、その後に明るみになった証言等によって、
"スターリンによって破壊され、ヒトラーによってとどめを刺された"
レニングラードを意味するという作曲家の真意が
知られるにつれて再評価の気運が高まってきています。
私にとってのこの曲に関する想い出は、
かつてN響定期演奏会で、作曲家の息子で指揮者の
マキシム・ショスタコーヴィチのタクトで、
初めて生演奏のこの曲を聴いた記憶と、
1994年に東京フィル欧州楽旅に同行した後の最初の
同楽団定期演奏会がルドルフ・バルシャイ指揮による
この曲の演奏で、それが欧州楽旅の成功の勢いをそのままに
素晴らしい演奏であったこと、等が思い起されます。
##<交響曲第7番 ハ長調「レニングラード」作品60>##
[第1楽章]
古典派の時代にいきなり登場したベートーヴェンの「英雄」の
第1楽章にも比較すべき破天荒な規模を誇る
ソナタ形式の応用による長大な冒頭楽章です。
力強い"人間の主題"と穏やかで美しい"平和の主題"によって
構成される提示部を終えると、今度は
ややユーモラスにも聴こえる"戦争の主題"が登場します。
しかし、長大なパッサカリア的変奏曲のように
計12回も繰り返されるうちに、
次第に音楽はヴォリュームと緊迫感を増していきます。
まるで、ナチスの包囲の距離がどんどん縮まる様が
音楽によって表現されているようでもあります。
この後に続く更なる展開の筆致も見事で、
壮絶なクライマックスが生成された後に
今度は"平和の主題"から"人間の主題"の順序で再現した後、
"戦争の主題"が顔を覗かせつつも
終楽章での勝利を暗示するように楽章が閉じられます。
尚、本人のよって破棄されたものの、
この楽章には当初「戦争」という副題が付されていました。
[第2楽章]
4拍子によるスケルツォ楽章です。
出だしは静かに始りますから、
あまりスケルツォらしくありませんが、
中間部(トリオ)に相当する部分に入ると、
次第にヴォリュームを上げていきます。
やがて打楽器や金管楽器も動員されるようになって、
戦闘の凄まじさを回帰するような音楽になります。
やがて静謐な音楽に戻り、消えるヨウに楽章を閉じます。
尚、本人のよって破棄されたものの、
この楽章には当初「回帰」という副題が付されていました。
[第3楽章]
ショスタコーヴィチには珍しい、長調を基調とした
明るさを湛えた緩徐楽章となっています。
ロシア正教の国を思わせる、オルガンの響きにも似た
コラール調の楽想から音楽が始ります。
その後に、フルートや弦楽器セクションの
息の長い旋律が印象的な部分が続きます。
中間部ではテンポがあがり、
ロシアの大地を勇壮に讃えるような音楽が前進して、
輝かしいクライマックスに到達した後に、
おだやかな主部の再現に舞い戻ります。
終楽章にはアタッカで続きます。
尚、本人のよって破棄されたものの、この楽章には当初
「祖国の大地」という副題が付されていました。
[第4楽章]
第3楽章から続いて静謐の内に
いつのまにか終楽章に突入します。
時おり現れる「タタタター」というモティーフは、
モールス信号の「Victory」(勝利)の暗示でしょうか。
音楽はショスタコーヴィチ独特の
オーケストラの即興演奏のような発展をみせながら
次第に見事に高揚していきます。
漸く歩みが落ち着いて、第2部分に入っていきます。
哀歌のようなこの部分は、
戦争の犠牲者を追悼する音楽のようでもあります。
やがて、テンポは上がらないものの、
音楽が再弱奏から立ち上がっていく第3部分の進行します。
次第にいつの間にか力強い楽想に身を委ねられる安心感が
沸き起こるかのように、音楽は長調になって頂点に達します。
第1楽章の"人間の主題"が高らかに回帰して、
勝利を宣言するかのように全曲を閉じます。
尚、本人のよって破棄されたものの、
この楽章には当初「勝利」という副題が付されていました。
YouTube / Dmitri Shostakovich
- Symphony No. 7 in C major,
"Leningrad", Op. 60
Barcelona Symphony and Catalonia National Orchestra
Pablo González, director / conductor
L'Auditori concert hall
VIDEO (データが重いので立ち上がりに時間がかかります。)
仕事場にあるCDはこの2枚です。
CD:ショスタコーヴィチ/交響曲第7番「レニングラード」
ルドルフ・バルシャイ指揮
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
BIS / CD-515
CD:ショスタコーヴィチ/交響曲第7番&第9番
レナード・バーンスタイン指揮/シカゴ交響楽団
グラモフォン / UCCG-4101/2