一昨日の記事で予告した通り、
マーラーの交響曲についての私見を昨日から綴りはじめています。
ベートーヴェン以降の作曲家の交響曲を作曲年代順に聴き進めていくと、
その作曲家の音楽家としての彫琢が深まって行く様が
浮き彫りになっていきます。
ベートーヴェン然り、シューベルト然り、
メンデルズゾーン然り、シューマン然り、
ブラームス然り、
ドヴォジャーク(ドヴォルザーク)然り、
チャイコフスキー然り、ブルックナー然りですが、
何といってもその圧倒的な量感や楽章数の変節や
声楽の多岐にわたる導入等、
マーラーのその道のり・足取りは別格の存在感があります。
今回は第2番「復活」です。
この作品は、マーラーが交響曲の作曲の独自の方法論を
完全に確立させた作品として位置づけられる名曲です。
おそらくはベートーヴェン「交響曲第9番」を目標の雛形として、
巨大なソナタ形式冒頭楽章・
中間楽章群・
独唱によるフィナーレへの導入・
独唱と合唱を導入した荘厳なフィナーレ
という楽章構成を設計したものと推察されます。
第1楽章は、もともとは「葬礼」と題した交響詩として
作曲を開始したものであったようですが、
最終的には5楽章に及ぶ大曲の冒頭楽章になりました。
この楽章の構造こそが、
マーラーがマーラー流ソナタ形式に
辿り着いたことを物語っています。
簡単に説明するならば、
ABABABAABAという構成です。
Aが主要主題(第一主題)を主体とした部分、
Bが副主題(第二主題)を主体とした部分、
と考えてください。
音楽が一元論に基づいていたバロック時代から、
古典派の時代から二元論への移行が始まり、
ロマン派の間にその二つの要素の対照性の振幅が拡大を続けて、
遂にはマーラー流ソナタ形式という
二元論の極致に到達したと、私は考えているのです。
極論するならば、
この楽章の構造とその意味を理解できれば、
後続のマーラーの交響曲群の全てを理解できます。
それにしても、展開部最後のクライマックスが崩落して
再現部に突入するあたりのカタストロフの凄まじさは、
それまでの音楽史を飲み込んでしまっているような
とんでもない迫力があります。
あまりの量感をマーラーも自覚していたようで、
この第一楽章を第一部として位置付け、
5分のインターバルをとった後に後続の楽章に入るように、
スコアに指示が書き込まれています。
[マーラー流ソナタ形式の補足説明]
ABABABAABAという構成をもう少し詳しく説明しましょう。
最初の A B は第一主題と第二主題の提示に相当します。
二度目の A B は古典派の時代の提示部繰り返しに相当するマーラー流の再提示です。
但し、A の部分に展開部とも感じられる発展的な要素も含まれていますし、
後半は提示部の終止(小結尾)を思わせる楽想となっています。
三度目の A は展開部の前半部に相当します。
但し前述した二度目の A が展開部の様相も持っていますので、
二度目の展開と捉えることも可能です。
三度目の B は、三度目と四度目の A 、つまり展開部の前半部と後半部に間に、
第二主題が駆け抜けるように奏される間奏部のような展開部半ばの挿入部です。
四度目の A は展開部の後半部で、壮絶なまでのクライマックスに到達して、
それが崩れ落ちるように再現部、つまり五度目の A に舞い戻る様は、
正にカタストロフです。
五度目の A と四度目の B は第一主題と第二主題の再現に相当します。
最後の六度目の A は、二度目の A の後半部の楽想が回帰して、
この楽章の終結部(コーダ)となっています。
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総括すると、
提示部:AB→再提示部:AB→ 展開部I:AB→ 展開部II:A→再現部:AB→終結部:A
と捉えることができる訳ですが、同時に、
提示部:ABA→展開部I:BA→間奏部:B→展開部II:A→再現部+終結部:ABA
と捉えることも可能なのです。
マーラーの場合、どちらの考えが正しいということではなく、
両方の見方(可能性)を複合して持っているソナタ形式と考えるべきだと
私は考えています。
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第2楽章はマーラー独特の田舎風ワルツ=レントラー楽章です。
古典派で言うメヌエットと緩徐楽章の中間の性質を持つ、
間奏曲的な性格の楽章で、第二部が導入されます。
第3楽章は、マーラー流のスケルツォです。
やや遅めのテンポに乗って、
まるで水の流れのようなテーマが
うねりを重ねていきます。
マーラーとしては珍しく
古典的なロンド形式(ABACABA)
に準拠した構成を用いていて、
ABA(c1c2/C)AB(Ⅴ楽章導入の予告)A
と分析できます。
後年、ルチアーノ・ベリオが「シンフォニア」の
第三楽章のコラージュの坩堝のような構造の器として
この楽章を丸ごと引用したことは、あまりに有名です。
第4楽章は、歌曲集「子供の不思議な角笛」の中の
一曲=歌曲「原光」をそのまま当嵌められています。
ベートーヴェン「第9」の終楽章のバリトンによる
導入唱のような役割を担っていると考えられます。
声楽を頻繁に交響曲に導入したマーラーの
最初の声楽導入楽章はこのような形で始りました。
第5楽章(終楽章)は、
ベートーヴェン「第9」の終楽章を
遥かに凌駕するような規模と構造を持っています。
聴衆は、非常に多くの段落を感受できる構成に基づいて
この楽章を聴き進めることになりますから、
構成原理を掴むことは難しいかもしれません。
しかし、賢明な読者の皆さんの中には、私と同じように
この楽章がそれ程複雑に変形されてはいない
ソナタ形式に基づいて設計されていることを
理解されている方も居られることでしょう。
そして、第一楽章で提示されたクライマックスへの楽想が
終楽章にも敷延されて、全曲の最後の最後に
最も提示したかったテーマが悠然と姿を現すという、
マーラーの全曲設計の十八番技を理解するならば、
もっともっと楽しくマーラーの交響曲群を
聴くことができるでしょう。
この曲は、演奏は大変難しい作品ですし、
時代を先取りしたような空間性も有していますから、
完全に近い実演に接することは滅多にありませんが、
作品そのものの持つ力が絶大であるために、
ある程度の演奏水準が維持されれば素晴らしい感動を
奏者と聴衆が一体となって共有することができます。
私が実際に接した実演の中では、
大野和士常任指揮者就任披露公演/東京フィル定期演奏会
インバル指揮/東京都交響楽団定期演奏会
シノーポリ指揮/フィルハーモニア管弦楽団来日公演
の記憶が今も鮮明です。
先年にサントリー音楽賞を受賞された大野和士氏の
受賞記念演奏会のプログラムも、この「復活」でした。
(2011年8月29日/19時開演/サントリーホール)
素晴らしい演奏で、終演後の拍手が鳴り止みませんでした。
下の写真は、私が若い頃に擦り切れる程に聴いたLP
ズビン・メータ指揮/ウィーン・フィル盤の表紙です。
LONDON / SLA-1098-9 (2枚組/5000円)
