昨年のISCM国際現代音楽協会の世界音楽祭ポルトガル大会に出席した訪問記を再掲載いたします。
今日から暫くの連載となります。どうぞご覧ください。
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皆さんは、国際現代音楽協会
(International Society for Contemporary Music / 略称:ISCM)をご存知でしょうか。
新しい音楽の普及と発展を促進することを目的として1922年の設立された国際組織です。
1923年の第1回音楽祭(ザルツブルグ)以来、加盟国持ち回りで、
《World Music Days》(最近では《World New Music Days》という名称の下に
国際審査会の選考による入選作を主体としてプログラムによる音楽祭が、
毎年(第二次大戦やコロナ禍による中断・中止あり)開催されています。
2001年には日本大会《ISCM World Music Days 2001 Yokohama》が、
ISCM日本支部である日本現代音楽協会が主体となって実行委員会を組織して、
国内外から待望久しかった日本初開催の大会として実現しました。
私自身とISCMの直接的な参加などの関わりは、下記の通りです。
1)1988年:《ISCM-ACL World Music Days 1988 Hong Kong》に参加。
2)1992年:《ISCM World Music Days 1992 Warsaw》に出席。
3)1993年:《ISCM World Music Days 1993 Mexico》に出席。
4)2000年:《ISCM World Music Days 1993 Luxemburg》に出席。
5)2001年:《ISCM World Music Days 2001 Yokohama》主催(実行委員長)
6)2002年:《ISCM World Music Days 2002 Hong kong》に出席。
そして先般、《ISCM World Music Days 2025 Portugal》に久しぶりに出席してきました。
明後日から暫く、そのポルトガルで開催された音楽祭訪問記を、
朝の連載記事としてアップしていきます。

訪問記の連載の前に、今日は、上述の私自身のISCM音楽祭への参加や出席について、
もう少し詳しくお話ししておきましょう。それらの経験の基づく所見などを、
後日にアップする訪問記の中にときどき記すことになるので、
前提情報としてご笑覧いただれば幸いです。
1)1988年:《ISCM-ACL World Music Days 1988 Hong Kong》に参加。
この大会は、ISCMとして初めてのアジアでの開催であり、
またACL(アジア作曲家連盟)との連携合同開催でした。
私はACL側からの参加で、 <ACL青年作曲賞(Young Composers Awards) 本選会>の
日本代表作品として拙作『DISTRACTION for Clarinet and Piano』が推薦されて、
香港に赴くことになったものでした。
審査員長はH.ラッヘンマン氏、審査員はY.メルネシュ、李萬芳の両氏でした。
幸運にも、拙作の演奏は高く評価されて、
私はACL青年作曲賞1988第1位を受賞する栄誉に預かりました。
追記:ISCMとは直接の関係はありませんが、この香港大会に参加したことから、
二年後に日本で開催となった《ACL Asian Music Festival 1990 Tokyo-Sendai》の
実行委員会の末席に加えていただくことになり、
そこで得た準備段階から実施運営までのさまざまなノウハウを見聞する機会を得て、
後年にISCM音楽祭の日本初開催の実行委員長を務めることができた基盤となった、
貴重な経験値となったのでした。
2)1992年:《ISCM World Music Days 1992 Warsaw》に出席。
拙作『<飛来IV〜独奏ピアノを伴う室内オーケストラの為に』が国際審査入選となり、
ISCM総会への日本支部デリゲートとしての出席も兼ねて、ワルシャワに赴きました。
小生が心の師と仰いできた偉大な作曲家、ヴィトルド・ルトスワフスキ氏に、
拙作上演演奏会でお目にかかることができて感激しました。
一生の想い出となる渡航となりました。

3)1993年:《ISCM World Music Days 1993 Mexico》に出席。
前年に続いて、ISCM総会への日本支部デリゲートとして出席した大会でした。
ISCM初のラテンアメリカ圏での開催で、オープニングセレモニーは何と、
テオティワカンのピラミッドの脇という、壮大で印象的な開幕でした。
この音楽祭を契機として結成された打楽器アンサンブルが、
世界的に有名なTAMBUCOで、後年、私も縁を得て、
メキシコや日本で邦楽器と打楽器アンサンブルのための大作を
演奏・レコーデフィングしていただくことに繋がりました。
尚、この1992年と1993年の総会で、各国1支部の加盟制度に加えて、
準会員(Associate Member)制度が検討・承認され、
ACL(アジア作曲家連盟)の日本支部でもある日本作曲家協議会が、
その適用第一号として、準会員となったのでした。
戦後に多数の国際審査入選作がノミネート・演奏されてきた日本支部が、
高度経済成長によって国際的に有力な立場になったにも関わらず、
ISCM音楽祭を一度も招致開催していないことへの反発が蓄積していた頃でしたので、
日本現代音楽協会(日本支部)と日本作曲家協議会(準会員)が協力して、
近い将来に日本大会を実現してほしいという願望が盛り込まれた決議であったと
肌で感じた総会出席でした。
4)2000年:《ISCM World Music Days 1993 Luxemburg》に出席。
上述のような経緯がありましたが、結局、紆余曲折の末、
日本現代音楽協会が中心となってISCM音楽祭の日本初招致開催に向かうことになり、
概ね固まった日本大会の開催骨子を報告するために、
前年の総会が行われたルクセンブルグに赴いたのでした。
5回の総会、22公演に及ぶ演奏会、および周辺イベントの概要と
プログラムもほぼ固まっていたのですが、
加盟全支部の網羅を国際本部に強く勧告されたため、
急遽もう一つの演奏会<独奏作品展>を追加する調整を行い、
結果として全23公演から構成される音楽祭という形で帰結しました。
5)2001年:《ISCM World Music Days 2001 Yokohama》主催(実行委員長)
遂に、待望久しかったISCM音楽祭の日本初開催が実現しました。
詳しくは、このブログに経験談を長期連載でアップしてきましたので、
そちらをご覧ください。
尚、この前後数年のISCM会長はY.メルネシュ氏でした。
そうです、上述の香港でのACL青年作曲賞の審査員だった方なのでした。
日本初開催を氏はとても喜んでくださり、開催終了後のフェアウエルパーティーでは、
当時の日本現代音楽協会の会長(当時の呼称は委員長)だった松平頼暁氏と私の腕を
高々と掲げてくださり、感謝のエールを贈ってくださいました。

6)2002年:《ISCM World Music Days 2002 Hong kong》に出席。
前年大会の主催者として、また過去に香港に深い縁を持つ者として、
数度目となる香港に赴いたのでした。
さて、明日の記事では私とポルトガルの縁について語ります。
そして、明後日から今年のISCM音楽祭参加のための
リズボン訪問記を連載アップしていきます。
どうぞお楽しみに!