以降浅薄なスライムによる

それこそ与太話です^^;

 

★ペケッターでは

2024年も11月だというのに

未だに『マスクつけなかった』のは

「思いやりのないヤツ」で

「ルールを守れない愚かな人」

「自ら生きづらい道を選択している」

から

排除差別をされて当然である

とご高説を垂れている人がいる。

 

★言い返したいね

マスク狂信主義者こそ

「思いやりのないヤツ」

マスクの出来ない人間を

慮れない愚かな人だってね。

 

★あのさ、コ口ナシグサが

完全には出来ないし、

したくもないから

参加を拒否したくたって

そうもいかなかったの。

別に行きたくもないのに

強引に呼び出される。

 

でさ、こっちゃ時間厳守してるのに

相手の幾重もの初歩的ミスで

昼から夜中まで5時間待てって

時間を反故にされたの。

そんな長くコ口ナシグサは出来ないので

大目に見てくださいって懇願したって

現実に居場所がなかったの。

 

ハンデを抱えた人間と一緒に

外に追い出されて震えてる

あてもなく見知らぬ場所を

徘徊する

しかなかったの。

 

これがまともな社会ですか???

 

映画『砂の器』が

最もクダラナイ映画

邦画ワーストワンと評した

高名な作家さんがいたけれど

よく分かるんだよね。

作り話だと共感するのに

現実では違うんだよね。

 

★さらに、更に最高裁の判事は

ノーマスクをハイジョすることは

当時の空気なら仕方がない

って判決を下した。

法律より空気優先、

歯止めが利かなくなった世界。

されどこの判事に

 

No!の意思を示したのは少数派

 

まぁ、一億歩譲ってそれでもいいよ。

なら『空気そのもの』が

正しかったかどうかの論議は必須だよね。

 

でもオウミ座長はそんしの椅子に

ふんぞり返って新たなソードーを起こす

予言をする始末だし

鉢割やくつ玉は自画自賛。

医クラもそれをとがめずに

面白いと曰ってるディストピア

 

なんの反省もない

だから次回以降のアップデートもない

同じ事が繰り返されて

被害者が出続けるだけ

 

アウフヘーベンなんて

得意げに仰っていたが

止揚もない。(しょ~もない)

 

★たとえ無症状でも

ノーマスクだとウイルスが飛び散って

確実に1%以上を死に至らしめる。

かつ、制止をさえぎって

ノーマスクで徘徊している。

この状態なら緊急避難的に

ハイジョもやむを得ないかも知れぬ。

 

でも、そのどっちでもなかったっしょ。

こんなの自明なのに

まるで顧みないってど~ゆ~こと?

 

センモンカは

いたずらに脅しをかけすぎた

パンピーは

必要以上に怯えすぎた

 

この道はいつか来た道

『新しい戦前』でも何でもない

単なるデジャブなんですよ

 

マクラが長すぎましたね^^;

与太郎と我々同様

 

落語の世界はある種のユートピア

上方では『我々同様』

みんな所詮アホなんや

人間みなチョボチョボや

少しずつ壊れてるんや

 

江戸では『与太郎』

アホを記号に押しつけた。

自らの内ではなく外に置いた。

しかし彼をも包括した

優しい社会。

流行の言葉で言えば

ダイバーシティを先駆して

具現化しているユートピア。

 

更に立川談志さんは与太郎を

生産性が低いだけで

我々より優れた哲学者のように

表現した。

これは天才バカボンのパパが

初期はいわゆる与太郎で

近所の心ない人たちから

ダマされたりコバカにされた存在から

中期以降は物事を達観して眺める

傍観者のように描かれるようになったのと

似ているような気がする。

 

談志さんも赤塚さんも先を見据えて

時代の先端を走っていたんじゃないか。

新しい戦前よりスルドイと私は思う。

 

 

翻ってセケンは「生産性」「生産性」

言い過ぎじゃないか。

「生産性」至上主義、生産性真理教。

これは実は時代に逆行していないか。

 

嘆かわしいことに

コ口ナタイサクでは

批判的だった人たちの中に

生産性真理教の信者が

多すぎるように感じる。

反サロ議論をボ~ッと眺めているとね。

 

生産性を上げることで

社会保障を減額しましょうという

これも『二択脳』の一種だろう。

だからイシンの支持者とも

被っているように

見受けられますね。

 

何度も書いてきましたが

コ口ナソードー

コ口ナタイサクそのものが

二択脳を煎じて煮詰めたものだと思うな。

 

そこには『我々同様』

『与太郎を慈しむ目』

存在しない。

あるのはただ、自らを高所において

ハイジョに勤しむ

狂信に満ちたセケンの目のみ。

 

★こんな風潮だから

ソンシやデブの王様が再び

「口を封じる」社会の到来は

そう遠くはないのだろう。

そんなディストピア

もう口を封じられる以前に

呼吸する価値も認められないね。

一刻も早く失せたいな。

 

『みんな仲良くボチボチと』

上方特有?のユル~イ

「我々同様」も素晴らしいし

江戸の与太郎を包括する文化も素敵だよ。

 

そろそろ落語を見直そう。

 

与太郎差別はよくないと分かりながらも

現実には与太郎をハイジョ

差別している。

 

今は「与太郎」と他人事かも知れない

しかしそのうち「我々同様」

思い知らされるときが来ます

それからじゃもう遅いのですよ。

 

 

 

 

一応オチもつけときますw

1978年阪神が初の最下位に沈んだ年

キャッチフレーズが

『みんな仲良くボチボチと』

この政権は

監督がクマさんで

コーチそれぞれを

しょうやん、ゴロちゃん、てっつぁん

などと呼び合っていたので

『落語長屋体制』と

呼ばれていましたとさ。