お気に入りの記事なのですが

あまり目に触れないので

虫干しage

隠喩が入ってますが

自分の思いがある意味

集約されています。

若干加筆していますので

既読の方も

いま一度お付き合いを

していただけるとウレシイです。

 

2023年1月忘日

 

大喜利

高齢者との会話ってネタの宝庫。

大喜利に似ている。

 

ある日の夕食

テレビニュースを見ながら

私はセブンイレブンで調達した

クリームパスタを食べていた。

『これ抜群に美味しいけど

具の数が物足りないなぁ』

なんて言いながら。

 

しばらく経ってから

テレビ画面には岸田総理。

防衛増税なんて

支持を集められないよね

と父に話しかけた。

 

すると父がいきなり

電子レンジを使ったら

どうなんだろう

父もテレビのキシダさんを見つめている。

『えっ!キシダさんの政策のお話なのに

電子レンジって一体どういうこと?』

『父は電磁波の専門家だったから

防衛に電子レンジ???』

やっぱ認知症がヒドイのか

と口には出さないが不安。

 

首をかしげていると

更に苛立ったような口調で

「だからなんで

電子レンジを使わない」

と畳みかけてきた。

 

『???!????……』

どう対応して良いものか

私はフリーズ

 

父「ぬるいってお前

今言っていただろう?

 

ぬるいなんて言った覚えないし 

はて……

『あっそうかひらめき電球

突如ピンときた

 

1.私がパスタを食べながら

 文句を言っていたこと

2.支持を集められない

 

この2つを重ねて

シチューが

熱めにならない

と聞き違えていたらしい。

 

確かにクリームパスタは

シチューにも見えるし

話の整合性は取れているヨ^^;

 

これって落語じゃん。

「花見の仇討ち」

花見の趣向で本物さながらの仇討ち劇で

見物人を驚かせようと長屋の4人組。

3人で仇討ちの諍いを起こし

残りの一人が巡礼姿で

颯爽と止めに入って大団円という筋書き。

ところが巡礼役がいざ花見の場所に

かけつけようとしたまさにその時

耳の遠いおじさんに出会ってしまう。

 

『お前は何で巡礼の姿なんかしているのだ?』

「おじさん、これは花見の趣向です」

『何、相模から四国へ?』

花見の趣向と相模から四国へ 聞き違い。

四国と巡礼姿はつじつまが合っているw

 

昔の人って余裕があったよな。

年寄りの日常茶飯の聞き違いを

「笑い」に昇華させている。

自分もウッカリ勘違いするところだったが

余裕のなさは

時として人を傷つける。

落語はともすれば

落伍者とされる人には

とことん優しい目線だ

 

ところが私はどうなんだ。

落ち着きさえすれば

楽しい『ネタ』なのに
気づかずに認知症

レッテル

貼ってしまう
可能性もあるんだなぁ と。

普段口数の少ない人だけに

もし一呼吸おいて考えを巡らさねば

誤解したまんまスルーも充分にあり得た。

 

人それぞれキチンと

整合性の取れたお話を

こちらの勝手で電波扱い、

切り捨てって

日常でよく見られる

光景なのかも知れない

 

決して無理筋で笑わせようとしてはない

些細な日常の笑わせる意識なぞ微塵もない

会話にこそ一番の笑いが潜んでいそうだ。

それに気づかぬのは モッタイナイ。

 

新時代のパワハラ

この真逆のこと。

直近3年間(いやもっと長期間かも知れない)

にもつながっていないか。

些細なことを針小棒大に

ひたすら何者かに怯え、楽しくなくなる

方向へ方向へと誘われていた。

敵の「パワー」を過大評価し

勝手に「ハラハラ」しまくる

ハラハラ症候群

これこそが新しい『パワハラ』で

決して好ましいことではなかろう。

 

些末なことに目くじらなぞ立てず

心に余裕を持って大らかになる

これこそが

いつでも落語の心を忘れないことこそが

平和への近道のような気がする。

 

老人力

26年前、赤瀬川源平さんによって

唱えられ、一世を風靡した概念。

老化による衰えというマイナス思考を

「老人力がついてきた」という

プラス思考へ転換する逆転の発想。

 

数年前、連載が始まったばかりなのに

残念ながら突如連載終了となった

山藤章二さんの「手脳会談」(週刊文春)

イラストメインでなくテキスト中心。

山藤章二さんによる

新作落語の趣だった。

 

その中にこんな一節があった。

細かいニュアンスは違ったかも知れないが

年をとって夫婦でアレ、コレ

何だっけ、とすぐには出てこない

ボケを楽しむ会話。

それを聞いていた若い編集者が

すぐにスマホで調べて蕩々と

アレ、コレ、ナニの

正体を明かしてくれるのだが

これはお節介でありヤボである、と。

 

昔、三波伸介さんが

この技術に長けていたそうだが

ボケをギリギリまで引っ張って

それからツッコミを入れる

これも今の時代には求められそうだ。

 

実際はみんなせっかち

結論を急ぎすぎて

「待つ」ことの重要性

楽しみを忘れている

ような気がする。

 

みなまで書くな

ヤボだから付け加えるの

よそうか思ったが

コ口ナソードーが典型

ヴァクシーン、

イスラエルの初期データで欣喜雀躍

「打たない手はない」

日本最高のエリートのひとり

M坂M之さん

なぜ「待たない手はない」と

ならないのだろうか?

 

いじょ

ブロ友さんのブログや

いただいたコメントを

読みながら思いついたこと

を つらつらと書き綴りました。

 

本日もとりとめなき長文に

お付き合いいただき

ありがとうございました