メモ代わりに

 

リアルに誰も相談する人がいない

医療問題って特にそう。

迂闊な事って言えないから

相手も医療側を否定なんか

絶対出来ませんよね。

だから個人的な感想を

書きとどめておくだけ。

 

 

今日父と話していて

いつもと違ったこと。

 

被害妄想三昧は

ある程度聞いた後に

こちらからムリヤリ

話を切り替えた。

 

病院周辺のお話。

今回の病院は立地条件は良い。

市一番の繁華街と言って良い

ある駅の近くにある。

直ぐ近くにドンキホーテもあるし

からやまやかつやもあるし

ゲームセンターもあるし

丸井もあるし、スーパーもあるし

銀行もあるし……

 

父は2022年にぶっ壊れる以前は

一日一万歩以上歩く人

老人パスも持っていたから

この駅までバスで移動して

よく買い物を楽しんでいたのだ。

 

この駅の地理は

まだ良く覚えていたようで

私の話を喜んで聞いていたし

丸井の中にもち吉があって……

なんて話もし始めた。

 

いつもは一方的に話すだけ

話を遮ると怒るだけだったのが

エライ違いで

施設にいるときより

状態は良くなってる?

と喜んでいたのだが……

 

医師の説明

丁度一週間前発熱したのを

問題視されている。

入院から二週間経ち

回復も順調で退院を

見込んでいた矢先のこと。

 

医師のご意見では

こんな短期で

肺炎を頻発するのって

オカシイ。

何か大元となる疾患を

抱えている可能性がある。

ただ肺の画像が

ああゆる病気と加齢で汚いので

適切な画像診断が出来ない。

ガンも疑ったが

腫瘍マーカーの値は正常。

病院に週一でいらっしゃる

大学病院医師の見解も

ガンではないだろうとのこと。

 

お父様とても元気に見えたでしょう

でもそれは爆弾級に強い

ステロイドを打っているからです

との説明。

なるほど、管はそれでだったのかな。

 

話をすべて伺った後

私は(二週間の再発が)

特に異常とも思えなかったので

「2年前も明日退院ですと

予告を受けた直後に再発

やはり入院2週間後でした」

とは指摘しておきましたが

『その時とは違うだろう』

とのことでした。

参考にはならないみたいで

そう言われてしまうと

あとは何も言えませんね。

 

この辺りは良く分からないですね

釈然としませんが……

そもそもこの2年で

加速度的に悪くなった原因に

ついては思うところがあります

しかしそれを言っても仕方ないので

客観的事実を提示しただけ。

一度坂道転げ落ちちゃうと

加齢には逆らえないって事

だとは思うんですけどね。

 

最初の酸素飽和度も

話を聞いてもらえず

否定されてしまったし

(施設に戻ってから確認したところ

私の指摘が正しかったのは

かつて書いたとおり左差し

いちいち疑念を抱くんだったら

自分が医師になるべきでした^^;

 

老人だから仕方ないですが

医師の説明を聞いていて鬱になります。

直近の酸素飽和度も、

かつての二週間の肺炎再発も

こちらの説明は事実なんですが

楽観視していると思われてしまうのか

否定から入られるのがツライ。

15年前の食道、8年前の心臓

それなりの権威でしたが

この二人は話やすかったですね。

お二人は私の話も聞いてくれましたが

(何だか感心されていたそうです)

他の医師はすべてじゃないですが

すぐ否定したり

嫌がったりする場合がありましたね。

事実を言っているだけだったり

質問をしているだけなのに。

 

まぁこんなんで禿鬱。

同時に将来不安も。

入院は絶対アカンですね。

衰えが一気に来ます。

ましてやちょっとだいぶ変わってる

自分はどうなるんだか

分かったもんじゃない。

 

価値観の違いは埋めがたい

過干渉を嫌う自分

所詮他者の父はもう仕方ないですが

自分は入院は絶対にイヤですね。

面会者もゼロだしw

疑問やツラサを吐き出す捌け口もない。

これまで通り

医療に一切拘わらず

ポックリが目標ですね。

 

★言うても詮無いですが

2類指定パニックが

かえすがえすも憎たらしいです。

 

いつもは連れ出せる状態

というかむしろ

歩き回って困っていた母。

ところがベッドから

直接担架で運び出すような状態

突如まったく動けなくなった母を

1日半様子を見て

やっぱりオカシイと搬送。

それをイヤミたらたら説教されて

何の処置もなしに

帰されたのが発端。

 

アドバイスを請うても

「仮定の話は意味がない」

大学病院が意義ある研究をしたい

老人でベッドを埋めたくない

これは良く理解出来ますし

こちらとしてはそうならないよう

人一倍気を使って来たつもりです。

ところが意義ある研究をしたい

大学病院サマ以外

搬送先がないような

規制を考え出したのは

カンセンショウの

センモンカなんですよ。

こっちが望んだわけ

じゃぁないビックリマーク

 

動けない母を万が一でも

倒すわけいかない

非力な自分だけでは不安があったんで

父に手助けを求めたのが

間違いでした。

直後父にすぐ異変が起きたので

以降私ひとり。

しばらくしてオミクロン発症もあって

パニックになったわけですが

私ひとりで何とかなった。

 

あのとき父に手助けを求めてしまった

愚かな選択ミスが

熟々悔やまれます。

あの入院からですね

父が完全にぶっ壊れたのは。