2023年9月記

私は幼少の頃耐えがたい

いじめや排除を受けた

恥ずかしい限りだが

後遺症にも悩まされている。

だから同じ事が起きて

欲しくないと思いながら

ずっと書き続けていた。

 

ところが、全く逆の発想を

する人もいるんだね。

未だに子どもを

「えんがちょ扱い」することに

自分だってそうだったんだから

それくらい耐えろよみたいな……

日本人てスパイト行動を

しがちな民族だという指摘も

あるけれど本当なのかもな。

 

右も左もジャニーズ叩き、

サッパリ分からん。

それよりヒドイいじめは

公然と放置されている。

 

てなわけで過去記事age

 

2022年8月記

 

 

ネットでの反応を見て

正直違和感を覚えた。

想像した以上に近藤さんに対する

風当たりは強かったようで、

否定的な見解ばかりが目立った。

トンデモ医とか医者もどきとか。

 

たしかに彼の主張は独特で

がんもどき理論は

神学論争的ではあったが

まったくの非科学カルト

ではなかったはずだ。

従来の日本の医療は

医者からのお仕着せの側面もあって

それが過剰医療に繋がるケースもあり

しかもエビデンスが不充分だったり

チェリーピッキングが多かった。

 

近藤医師はタブーを破り

彼の考える「エビデンス」を

忖度なしに提示

それを患者が吟味し、治療方針は

患者サイドが選ぶべきだ

と主張していたに過ぎない。

 

日本人は、権威・マニュアルに弱い。

そこから一歩脱し

自分で考える大切さを

教えてくれた反骨の人というイメージだ。

 

ところが批判を見ていると

相変わらず権威頼り

この人自身を権威化して

盲信してしまった

患者自身にも責任があり

それが批判にも繋がっているように思う。

そこが陥穽。

 

近藤氏自身にももしかしたら

若干問題があったのかどうかは

私には分からない。

しかし彼の主張をくみ取れば

彼自身もまた疑ってかかる必要があるのだ。

彼が自宅にまで押しかけて

頭を押さえつけて拉致し強引に治療法を

変更させたわけではない。

 

あくまで提言を

活かすか殺すかは我々次第。

自分の頭で考える

重要さを気づかせた医師

非常に画期的で勇気の要ったこと

この一点において

近藤誠氏の功績を讃えたい。

 

不祥78の場合。

13年前に父が食道がんに罹った。

食事中に突如ものがとおらなくなり

すべてを吐き出した。

ガンの中でも厄介で

予後が悪いとされていたガンだが

かかりつけのお医者さんが

食道がん手術の権威の一人に

紹介状を書いてくださり

即検査入院。

 

で、私は二週間くらいかけて

標準治療である 手術とケモラジ

ケモラジ(抗がん剤放射線合わせ技)

これらに関する論文や統計

果ては民間の免疫療法とか

データを集めまくった。

結構分厚い資料になった。

近藤誠さんの

「患者よがんと闘うな」も再読

新たに出されていた最新の著書も

図書館で数冊借りて目を通した。

 

自分なりの結論。

免疫療法は論外

ケモラジにも心臓に不安を抱える父には

大きなリスクがある。

近藤さんの著書によれば、食道を抜去し

胃とのどを直接繋げる

食道がんの手術は

最も忌避すべき治療の一つであった。

ただ彼の指摘はやや古さを感じ

日進月歩の手術の技術を

必ずしも反映していないように感じた。

放射線医としてのバイアスが

全くないとは言い切れない印象だった。

勿論外科医の

技術・手術件数で大きく差が出る。

幸い経験も腕も一流の医師だったので、

手術を受ける方向で調整をした。

本人の意向も元々そうだったので

尊重する形にもなった。

 

が、問題は化学療法(抗がん剤)だった。

これについては近藤医師の指摘が

ほぼ正しいと思った。

私の集めたデータでは

近藤医師の主張を追随するものばかりで

覆すデータがなかったのだ。

 

術前化学療法

『術前に抗がん剤で腫瘍を縮小させてから

切除する術法』

これは標準治療とのことで拒否できず

ずでに行われていた。

 

術後化学療法

『術後に転移を防ぐために抗がん剤で

がんを徹底的に叩いておこう

という発想』

これについては断固拒否することにした。

父も術前の抗がん剤の副作用で

相当参っていたらしく

私の説明に納得してくれた。

抗がん剤そのものもそうだが、

がんの転移を防ぐ発想は基本無意味

過剰医療に繋がるという近藤氏の主張は

私には十分納得できるものだった。

 

手術前日、分厚い資料を持ち込んで

権威のお話に臨んだ。

予習の効果があって、医師の説明は

とてもよく理解できた。

ときおり私が手術の術式について

質問をぶつけ、一つ一つ

疑問を潰す形で概ね納得できた。

 

さて、術後化学療法である。

医師の説明は想定通りで

新しい事実はなかった。

正直、治験の意味が大きいんか

という印象。

医師は盛んに勧めてくるが

とてもエビデンスがあるとは

思えなかったので断固拒否した。

資料を持ち出して、

エビデンス云々を主張しても

角が立つので、それは一切しなかった。

あくまで父の負担、QOL

「Quolity of life」~ 術後の生活の質

を鑑み辞退したいと主張。

 

最後は

「丁寧にご説明いただき

ありがとうございました。

明日はよろしくお願いします。」

とお礼を言った。

説明している間、医師も内心

「素人のくせに生意気なヤローだな」

と思っていたかも知れないがw

厳しかった表情が笑顔に変わった。

 

あれから13年、父は米寿手前、

まだ健在である。

7年後に心臓の弁置換手術も受けているので

ケモラジを避けたのも多分正解。

手術をしてくださった先生には感謝

それが素直に出来るのも

自分で考えてある程度調べて

医師の説明にも納得できたから

これは重要なことだと思う。

 

 

近藤さんの願い通り

医師と患者が対等で、

自分で治療法を選択できる時代に

なったのだろうか。

近年は『患者様』などと慇懃以外

何物でもない言葉が跋扈する一方で、

その上下関係は未だに変わらず、

という気がしてならない。

医療側にも患者側にも

問題がありそうだ。

 

さて、昨今のコロナソードー

まさにこれを反映しているように思う。

コロナのカジョウタイサク

術後化学療法と被って見えて

仕方がないのだ。

 

敵は完膚なきまで叩きのめす発想

勧める側のエビデンスがチェリーで

極めてアヤシイのも共通点。

そんな具合で、私の姿勢は13年前

権威の説明に臨んだときから

一貫している。

その時権威に対し抱いた違和感が

更に具現化して襲ってきたというのが

コロナソードーの正直な印象だね。

 

しつこいようだが最後に一言。

2021年3月の外放置問題。

説明は一体誰のためなのか?

私は疑問に感じたことは

とことん突き詰めたいタイプ。

説明も例外ではなく

13年前は周到な準備をして

最後は納得した。

6年前の心臓はそのときの10分の1にも

満たないが、それなりに質問をした。

医師は大変驚いていたらしいが……

それが通常でないということだったら

医者と患者の関係は

理想的とはとても言えそうもない。

 

ところが去年の場合

治療方針は既に納得済みで

もう聞きたいことなど1つもないのに

余計な負担を強いられた。

つまり、単なるセレモニー

あくまで病院側の都合。

時間の大幅遅れは病院のミス。

説明はセレモニーに過ぎないのだから

早くサインをして帰りたい

こちらは文句を一切言いません

と訴えたところで融通を利かせず

結局不自由を抱えた人間を

カンセンタイサクのサイユーセンで

5時間以上外で待たせ

取り返しの付かない病気にしてしまう

馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

 

6年前は既に母はおかしかったが

コロナ仕草のオシツケなどという

異常事態はなかったので

特に説明する必要もなく

普通に付き添わせた。

しかし去年は付き添わせる上での

母の状態に大きな変化があったわけではない

が、タイサクヒステリーそれ自体に

大いに不安を抱かずにはいられなかったので

事情を説明した上で来院したわけだが

こちらとしてみれば

不誠実で悔しい対応を

連発されたわけだ。

 

説明は病院でなく患者(家族)のため

美辞麗句を並べるのは構わないですが

この基本は忘れないでいただきたい。

マニュアルに拘泥するのではなく

患者側に寄り添って

臨機応変に対応するのが

これからは大事なのでは

あ~りませんか。