age

複合的な情報処理の必要性

人間が処理することの優位性

それを放棄するような現況

 

 

医師森田洋之さんの意見

抜粋

「エビデンス」という言葉は、医学界で用いられてきたEBM(エビデンス・ベイスド・メディスン)のことを言っている。巷では、「エビデンス」=医学的根拠、がなければ価値がないくらいに重用され、エビデンスを使って「論破」する、ような風潮まで生まれている。しかし、このエビデンスという言葉、本来はエビデンスに基づいたMedicine(メディスン=現場の診療)と言う意味であり、エビデンスだけを祀り上げたものではないのである。

 

エビデンスはエビデンスとして大事なものではあるのだが、そのエビデンスをどう解釈して現場で患者さんどう適用するか、市民がどう判断するか、この「現場への適用」こそがEBMの真意であり、そこで行われる非常に人間的な判断は、エビデンスとは全く別の次元のものなのである。エビデンス=絶対正義=論破、という図式は、実は医療の現場では全く成り立たないものなのだ。その意味で、医学やエビデンスを絶対と見て偏重しすぎる空気は、今の世の中に大きな弊害をもたらしていると言っていいだろう。

 

私達は医学・エビデンスに振り舞わされるのでなく、真に社会に求められている、現場の人々一人ひとりにあった人間的な判断を重視すべきなのである。それがエビデンスを社会の現場に落とし込む=EBMということなのである。

~抜粋終了

 

ここからはサタンの感想です。

そもそもEBMって言葉が出始めてから

独創性が失われていませんか。

確かに医療が平均化し格差が

なくなるという点に於いては

奏功したのでしょう。

しかし、治療法って患者が

100人いたら100通りあっても

良いものだと思うのですよね。

個々によって違うはずなのに

一律に当てはめるのが良いことなのか。

 

計算は恐ろしく速いが

コンピュータは言われたとおりの

こと以外出来ない。

データを入れる人間が間違えていると

本来解けないものまで

力尽くで答えを出す。

矛盾をチェックするのは人間の役割で

それには直感も大切なのである。

細部をチェックする力

俯瞰してみる力、双方が必要で

常にズームインズームアウトを繰り返す

それは人間しか出来ないことなのだ

これは何回か書いたことですが

医療にも同じことが言えると思います。

 

 

上記事から抜粋

 

人間の脳はアナログ回路であり、デジタル型であるコンピュータ回路と比べると、圧倒的にスピードは遅い。その一方で、人間の脳には、あちこちの場所が同時発火する「超並列型処理」という顕著な特徴がある。最大100兆回の計算を一瞬で行うというこのメカニズムのおかげで、人間の脳内では「予期せぬつながり」が生まれる。これが、いわゆる「ひらめき」の正体だ。

 

私が書いたこととも

通じるような気がします。

ここでは「超並列型処理」

と表現されていますね。

 

医療に落とし込むと

これがいわゆる

「名医の勘」というやつじゃ

ありませんかね。

 

EBMってマニュアル的

これに縛られすぎるために

勘を働かせる必要が

なくなってしまったんじゃありませんか。

治療も平均化、劣悪なものが減る一方で

名医まで減ってしまった。

 

忘・医クラインフルエンサー様による

2021年6月2日のツイート

 

申し訳ないのですが

こういった発言を見ると

そう感じてしまうのです。

 

ツイッターで見る優秀なお医者様の多くが

その時点で最良の医療を提供

しているのであって

後からそれが間違えていても

遡って責任は発生しないと

仰ってますね。

これをあの時は

仕方がなかった』症候群

とでも名付けましょうか。

 

本当に仕方がなかったんですかね。

少なからず懐疑の声が挙がっていても

全て封殺して

強引に進めただけじゃありませんか?

 

抑もエビデンスがあまりにも

短期で変わりすぎやしませんか。

つまり共通テスト数学で

求められるような

早く答えを出すのが優秀

この弊害のような

気がしてなりませんね。

人間ではなくまるで

劣化したロボットが医者になったみたい。

 

今は答えが分からない、も

立派な科学だと思うのです。

そもそもエビデンスなるものも

サタンから見るとどうしても

チェリーピッキングが多い

早急に答えを出そうとし過ぎるように

見えて仕方がないのです。

 

私は医療福祉においては

人間の関与が残って欲しいと

思っているのですが

これなら更にデジタル化が

進んだ方が良さそうです。

 

お医者様、そうでない方も

まだ大勢いらっしゃるとは思いますので

気を悪くされたらゴメンなさい。

 

これからどんどんエビデンス

なるものに縛られて

独創性を失うお医者様が

増えるのだとしたら

むしろAIの方がかつての

名医の勘」を

復活させそうな気がします

そこに期待を抱くしかなさそうです。

 

あ、その場合デジタル化を進めるのは

お医者様では絶対ダメですね。

実績のあるAI研究者の

参入に期待したいですね。

 

え?何故こんな事書いたかって

あまりにも馬鹿げた

コロナソードーで

未だに耐えがたき苦しみが

続いているからですよ。

 

我が身に降りかかったことで言えば

何度も繰り返したことですが

病院が約束の時間を破ったのに

ピタッとマスクが出来ない理由で

5時間以上寒空放置の刑です。

こんなのオカシイって

アメーバでも分かりませんか。

他にもいっぱいありますよね。

最近話題になっている

コロナ陽生妊婦さんの

帝王切開とかですね。

あ!これはエビデンスすら

ありませんでしたね。

単なる医療側の恐怖を

患者に一方的に押しつけただけ。

 

未だ続くマスク強要とは違いますが

一部とは言えまだ陽性者の

帝王切開が続いている医院があるとか。

要するにエビデンス云々以前に

変なマニュアルでも一度作ってしまうと

そこから抜け出せない気質が

日本人の中に潜んでいそうです。

 

「仕方がなかった症候群」で

責任は雲散霧消。

しかし狂ったマニュアルは

いつまでも残り続けるのです。

これじゃヤリタイホーダイ

じゃないですか。

チェリーで都合の良いよう解釈し放題。

短期でそれを簡単に覆しても

「仕方がない」のいてつくはどう

一発で責任は問われない。

こんなふざけた無責任なシステムは

一刻も早く破棄すべきでしょう。

 

それには「仕方がなかった」と

ウヤムヤで済ませることは最大の罪、

赦してはならぬことなのです。

 

未だに病院のマスクは続いています。

面会制限も続いています。

これが如何に非道かについても

具体的に散々書きました。

そろそろ入院患者や家族に及ぼす

悪影響に配慮しても

よろしいのではないですかね。

 

医療側だけでなく

タイサクを無条件に受け容れた

我々も含めて

過去を否定するのは

大変ツライ作業かも知れません

しかしそれなくして

未来は拓けないのです。

 

 

私は上記ブログでも記したように

2009年と2016年

それなりに資料を集めて

医師の説明を聞いて

納得のいく医療を受けさせる

ことが出来ました。

しかし2020年以降の

カンセンタイサクファシズムの

前では無力だと感じました、

どう考えても異常ですよ。

一刻も早く変なジュバクは解くべきです。

 

素人が調べた程度の知識で

専門家に適うことは100%ない

確かに一般論としてはそうかも知れません。

しかし十把一絡げで

杓子定規なエビデンスに依拠した

リスクを伴う医療には

拒否する権利は与えて然るべきでしょう。

これだって当たり前のことで

2009年は行使できたわけです。

申し訳ないですが権威の

術後化学療法の勧めを振り切り

拒否したのはどう考えても正解でした。

それを実質許さなかったのが

カンセンタイサクファシズムですよ。

リスクを過大に煽り

ノーマスクの無症状者が伝染すという

究極の非科学がもたらしたものですよ。

 

それで取り返しの付かぬ事態に陥った

人間も多数存在することは

忘れないでくださいね

決してオモシロスだ

仕方ないだで

済まされることではない!!!!!