昔オレが桜吹雪の月光仮面だった頃

妹はサクラのほっぺで学校通いで

しまいにゃオレはサクランボ狩りで

カッコウワルイになった

わかるかな、わっかんねぇだろうな

 

月光仮面に遣られるのみ

サタンの爪の垢による

なっが~い戯れ言

 

もしお付き合いいただけたら

とてもウレシイです。

 

★ 疑似反サロ

12.13午前中、母退院。

施設へ送り届けて帰宅。

 

4月末日以降の7ヶ月で

嘔吐による誤嚥性肺炎で入院4回、

ちょろっと書いたけれど

母の入院関連費用だけで150万超え。

我が家は3割負担。

極めて分かりづらくボカスけれど

ある意味そうなるように私がした。

私は数には異常な執着があり

結局そうなったが

金自体には執着・関心がない。

反サロの主張通りを地で行っているが

払える人は払わないとね。

ぜいたくがお茶と牛乳とせんべい

野球絡みの出費もゼロで1607億

一個も貢献せんようになったし、

金がかからん生活だから無問題。

 

ただ反サロの主張通り

現状の死生観維持のまま

全世帯3割となると……

確かに考えものだよね。

よほど収入があるか

地道に貯蓄をし慎ましく暮らすか

じゃないと破綻するよね。

 

しかし古くて新しい難題

病院のサロン化も大問題。

 

やっぱりこうならないような

心がけが大事だと思うな。

医原病を意識しなきゃ。

 

カンセンタイサクが典型的だが

そうなるようにそうなるように

医療費を使うように使うように

導くことこそが諸悪の根源だと思うな。

医療福祉のサブスク化って

発想自体もってのほか。

利用側も医原病さえ意識すりゃ健康やし

医療費もかからん、コロンブスの卵やで。

医療側か、利用側か卵が先かの不毛なお話

やはり利用側の意識が変わらんと

 

まず2割変われば良いんだよ

「8割どころか10割変えようとす」のは

月光仮面のカンセンタイサクと同じで

単なるファッショ、害以外もたらさぬ。

セイギのセンモンカ

月光仮面の唯一の功績

それを教えてくれたことじゃないか。

 

★さて、母について

今はもうマトモに動けない。

施設の人に話すとビックリされるのだが

去年9月入院する直前まで健脚だった。

 

我が家は3階、エレベータはナシ

郵便物や夕刊は1階の集合ポストまで

階段を降りて取りに行く。

 

家の中、母はベッドに横たわっている

それを見計らって郵便物を取りに行く

私の足で往復1分弱程度

ところがそのわずかの間に鍵を掛けられて

私は閉め出されてしまった。

これが入院の直前。

つまりベッドから起き上がり

玄関まで歩いて行って鍵を閉める

この行動が1分以内に出来たってこと。

ベッドから起き上がって

玄関まで行くのって結構大変だよ。

そこまで結構入り組んでいて

一直線ではない、

それだけ健康だったってこと。

 

徘徊もそうだった。

玄関の物音に気づいて

直ぐに追いかけても

ひょこひょこ階段を降りて

もう路上にいることもあった。

その間30秒くらい

かなりの早足w

 

そんなんでも一度の入院で一気だ。

 

今日は施設の介護士さんの

オムツ交換をずっと見ていた。

老健では中には入れなかったし

今の施設でも初めて見た。

10分くらいかけ、女性の介護士さんお一人。

(変なsloganの影響でお一人が「おーん」

に見えてまうやないかい^^;)

 

自分も去年の9月オミクロン罹患時に

死ぬ思いで成し遂げた。

電動ベッドとスペースの余裕で自宅よりは

若干やりやすいとは言え

私の時より遙かに状態が悪化している。

やはりアレは重労働だ、頭が下がります。

 

現場の介護士さんには感謝こそすれ

絶対文句は言えないな。

入居者は一人じゃなくって複数いるわけだし

想像を絶する大変なお仕事だ。

私はしょっちゅうオモシロス批判をしているが

現場の人は目の前の対処に精一杯、

それこそが尊いお仕事なのであって

とても西浦氏、忽那氏云々なんて

考えている暇なんかないよね。

 

ああなってしまうと

自宅での私の介護はもう不可能。

ブログでは文句ばっかで

申し訳ないが

現場の人にはニコニコ

お礼を述べるだけ。

 

★ 認知症の進行と介護現場の激務

双方の悪化に拍車を掛けるだけの月光仮面

 

一方で考え込んでしまうことも。

認知症進行問題だ。

これについては、

家族のサポート以上のものって

やっぱりないのだよな

と改めて感じた。

 

「生命を維持すること」が

第一義になるのは当然のことで

その根本である食事介助と

シモのお世話で手一杯だろう。

とても認知云々の要求まで出来ない。

 

食事とシモ以外は天井を

見ていることが多いから

どうしても進んでしまうのではないか。

 

私は今日、移動の車を含め

1時間半付きっ切りだったが

笑顔やコミュを引き出すのに苦労した。

一年前はちんぷんかんぷんとはいえ

表情豊かで饒舌だった母も

無表情で言葉をまったく発しない。

施設の人が1時間半、一人の人に

付きっ切りは不可能だ。

 

とにかく話しかけても反応がない。

言葉どころか「ア~ウ~」さえ

なかなか引き出せない。

ただ、手を握ったりさすったりしながら

話しかけているうちに

こちらに何かを訴えかけたいような

表情に少しずつ変わってきて

「ア~ウ~」が聞こえるようにはなってきた。

 

突破口になったのが

入院前に買っていたこの本だった。

 

間違い探しをもう出来る状態ではないが

根気よく見せ続けた。しばらくすると

写真に付いたタイトル

「美人ねこ」とか「マイクを持ったねこ」とか

ゆっくりと読んで、口にし始めたのだ。

これも身内ならではの執念。

 

それがキッカケで会話らしきものが

少し出来るようになったのだ。

私「一緒にいてあげたいんだけど

いられなくってゴメンネ」

母はっきりと『仕方がないわよ』

 

それまで全く言葉を発しないか

せいぜい『ア~ウ~』だったことを

考えると奇跡のような瞬間。

意思疎通は一見出来ないようで

母なりの気遣いは出来ているのだ。

 

以降は家族でしか知り得ない会話

「お友達の島田さんって覚えてる?」

『し・ま・だ・さ・ん・お・ぼ・え・て・る』

「彼女はまだげんきだよ」

『よ・かっ・た』

なんて具合に会話が成立^^

 

やはり家族が接することは大事で

認知症の進行抑止には

何よりもの効果があると思う。

去年9月までがまさにそれだったことが

再度痛感させられた。

新聞とか与えて自然に音読させたりとか

そういうのって自宅ならでは

こういうのって家族しか出来ないのか?

 

去年12月から9月まで

ほぼ接することが出来なかったのが

大変悔やまれる。

施設の業務にも限界があって

こちらが丸投げしているだけじゃアカン

やはり協力関係が必要。

ところがタイサクで丸投げ以外の

選択肢はなく、まるで適わなかった。

それが何を意味するのかは

現実の介護現場を見て

何となく想像が付くようになった。

 

施設は手一杯だったのに

更にカンセンタイサクまで加わった。

するとどうなるか……

非科学の押しつけによる害

それに想像が及ばぬのがセンモンカ。

 

とうとう見た目までがクリソツになった

月光仮面の(八割)オジサンさんは

私78の書くことなんか

所詮サタンの爪のネゴトに過ぎん

オモシロスとセイギの高笑いをしながら

く~だらない数字遊びの論文を

科学的事実と断言して

タイサクを正当化するだけ

しかしこの事実こそ

真摯に受け止めて欲しい。

 

いいですか、

コミュを引き出すのに

ノーマスクで1時間半かかるまで

悪化したんだよ。

でもちょっとしたキッカケで

まだコミュは取れるし

それが進行抑止になるのは確かだろう。

認知症本人だってコミュを取りたいのに

それが出来ず不本意な状態に

なっているのは明らかで

気の毒だとは思わないのかな。

面会不可じゃそもそもムリ。

面会可でも二週に一回15分限定

マスクつきなんてのじゃほぼ無意味。

窓越しなんて論外。

 

月光仮面のオジサン

センモンカのご都合主義のように

因果関係は立証できないが

そもそも家に帰れなくなったのも

4月末日以降の嘔吐連発も

バカバカしいタイサクの誘引する

衰えが起因しているよ。

 

決して効率的な感染抑止に繋がらない

非科学面会不可

象徴されるカンセンタイサクが

如何に人権蹂躙であったかを。

月光仮面のおじさんが主張されるところの

科学的事実なるものを

一度よ~く胸に手を当てて

見つめ直すべきだよ。

 

★右も左もファッショ、未来は果たして……

なんか白い天井をみつめながら

衰えていく未来が非常に近しく

生々しく実感できる物になってきたなぁ

話がかみ合わず、相談も出来ず

虚しく流れる日々

これがいつまで続くのだろう。

現場の人の奮闘を見て自らを

納得させる以外術はない。

でも何かが違う、でも何かが違う。

 

このままじゃ泣く子と医療には勝てない

何とか抗いたいが独り身だしムズカシイ

そうなる前に絶対に決着をつけなアカン。

コロリころげた木の根っこ

 

私は記述を信じないがwikiを見ると

検査嫌いの有名人がそのせいで

急速に病状が悪化して死んだ

と書かれているのが結構あるよね。

それって理想じゃんと思っている。

志村けんさんも千葉真一さんも

人生哲学に則って全うしたんじゃないかな。

 

12年前にガンで逝去された児玉清さん

彼は大変な読書家であり近藤誠医師

「患者よ、がんと闘うな」を始めとする

一連の著書に感銘を受け

検査を受けなかったそうである。

ところが末期がんを宣告されて

医師から「もっと早く検査受けていれば」

と指摘を受けて、自らの選択を

大変悔いていたというお話を

何かで読んだことがある。

真実かどうかは分からないが

医療絶対主義者は

「ほ~れ見たことか」となるわけだ。

しかし、どんな高貴な人間でも

多少は矛盾と葛藤の中で生きていて

いざ死に向き合うとそうなるのが

人情なのではないか。

 

カンセンタイサクなるものは

そもそもが多種多様な価値観を完全否定し

一方をセイギと決めつけ主張する

ファッショになり得ることは

今後に備えて頭にたたき込んで

おくべきである。

人間は矛盾と葛藤の生き物だが

月光仮面を気取る彼らにはその概念すらない。

自らをセイギノミカタと信じて露ほども疑わない

 

ましてや、何度でも強調するが

カガクテキコンキョも全くなく

弊害はすべてオモシロス

見ようともしなかったこの3年は

論外だったのである。

 

ここまでなっが~い戯れ言に

お付き合いいただき感謝