JR高円寺駅から1分のところに引っ越しました。フェニックス整体院です、

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コロナなどの影響によって、引っ越すことになりました。住所は杉並区高円寺南4-27-7 ラインビルド高円寺205号室です。駅から1分です。電話は5305-5727で今までと変わりません。今後もよろしく

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コロナで店の商売がひどい目にあってはいるが、
健康面では以前と変わらず、元気でやっている。

コロナについて書いておきたいことは
欧米と日本では被害がまるで違うということ。

日本では死亡者が非常に少ない。
欧米の100分の1くらいとか。

BCGを受けているからという説もあるが、
そういうのを抜きにしても、

日本は家の中に土足で入らないというのが
一番大きいのではないかと思っている。

看護師だったナイチンゲールが
家の中の絨毯が健康にとって最悪だと書いているらしい。

欧米では、土足で家に入って絨毯に上がり込むのだから
そこは細菌の巣窟だろう。


日本人がハグ、キス、握手すらしないことが
コロナ感染に対しての有利な条件であるのは

いうまでもない。

日本は、アイドルと握手することがビジネスになるという
特殊な国なのだ。

(大声でしゃべるのもよくないが、日本人は
満員電車でもパチンコ屋でも無言である。)


その上に土足で絨毯が追い打ちをかけてるだろう。


ナイチンゲールは健康にとっては
換気と日光にあたることがもっとも重要とも言ってる。

コロナが紫外線に弱いという話もある。


BCG については、
BCG は結核に対する予防措置だから、

普通に考えれば結核にしか効果がないはずだが、
黄熱病とかの、他の病原体にも効果があることが

わかっているらしい。

しかし、そのメカニズムは
医学的にはわかっていないらしい。

メカニズムがわからないので、
説明のしようがないので、

BCG は体が持っている自然免疫力を
強化する作用があるのではないか、

ということになっているとか。

もしそうだとすると、それだけでも
すごいことではないか。

コロナウイルスが肺を攻撃するときに、
肺の自然免疫力をバク上げすることによって、

日本人のコロナによる死亡率が
欧米の100分の1になっているのなら、

コロナをあまり怖がらなくてもいいと
いうことになる。


 

ドラマ感想

「トップナイフ」

面白い。

失敗が多い医者たちが出てくるドラマ。

コレを見てると、「失敗しないドクター」が出てくるドラマが
いかにワンパターンだったのかがわかる、

あのドラマは水戸黄門のように、
ワンパターンを極めようとしているのだろうが、

さすがに飽きてくる。

最近は、見ても見なくても
変わりがないということになってきている(笑)。


「トップナイフ」はいろいろな問題を抱えた医者たちが
次から次に問題を起こすし、

患者の方も、脳の問題を抱えているから、
ただ切ればいいという普通の外科の医者ものとは

大いに違った雰囲気になっている。

第5回のゲストの大西礼芳は、
私は殆ど見たことがなかったが

いい役者。

もっとたくさんのドラマに出てくることを望む。


NHK 「ハムラアキラ」

面白い。

シシド・カフカというのは何者か知らないのだが、
面白い役者だ。

役者というのは雰囲気がなくてはだめだが、
シシド・カフカは雰囲気しかないような役者だ。

それと間宮祥太朗がいい。

他のドラマとは違う雰囲気を出していて

こういうクールな役柄があっている。

第4回は藤井美菜がいい味を出していて、
松本まりかとの場面は

久しぶりにドラマの中の濃厚な時間に
どっぷりと浸らせてもらった感じがする。


 

東出事件(?)の余波がおさまらないようだが、
スマホニュースに続々と出てくる情報が

いやでも目に入ってくるので、
断片的にでも見ていると、

唐田が「匂わせ行為」をしていたというのがあって、
これはアウトだと思ったのである。

引退するしかなくなったな、というか、
仕事のオファーが来ないだろうから、

自然引退になってしまうだろう、と
思わざるを得ない。

19歳のときに東出と共演する映画に出るという
悪夢のような出来事があったのが、

運命なので、
これはもう仕方がないのかも。


「知らなくてもよいこと」

普通に面白い。

ただ、重岡大毅が役柄で「クズ男」をやってるのに、
ネットでは、彼がクズであるかのように言われてるらしいのは

あまりにも可哀想だ(笑)。


「悪魔の弁護士」

面白かった。

要潤がいい役者であるのを再認識させてもらった。

推理ドラマとしても、予想以上にすぐれていた。


「10の秘密」

まあまあだが、見られないほどではない。

というか、私は楽しみにしている(笑)。

「けいじとけんじ」

東出が不愉快なので、見るのをやめた(笑)。

「病院の治しかた」

絶好調ドラマ。小泉孝太郎は期待を裏切らない。
 

誰が誰と不倫しようが、
私は普通は気にしないのだが、

今回の東出のには、
ちょっとびっくりしたのである。

「家庭的」で売っていた人間が
その正反対の人間だったという意外性が

なんか探偵小説みたいに興味を惹かれてしまうところだが、
それ以上に私が驚いたのは

その相手が唐田えりかだったことだ。

NHKの「デジタル・タトゥー」というドラマで
私は初めて彼女を見たのだが、

演技が自然でうまくて、
存在感があるので、この人はしばらくしたら、

そこらじゅうで使われるだろうなと
思ったのだった。

それ以後、私が彼女を見たのは
「凪のお暇」である。

高橋一生が凪と別れて、次の恋人になったのが
唐田がやった会社の後輩役で

けっこう重要な役だった。

この役は、男からはちやほやされるが、
女性の同僚たちには総スカンを食うという役柄で、

そのシチュエーションが、
なんか唐田えりかと言う人間と

似たシチュエーションなのではないか、
と私はちらっと思ったのを覚えているのだが、

まさか、実際に、会社の中どころか、
日本中を敵に回すみたいな

シチュエーションが起きるとは、
さすがに予想もしなかったのである。

東出の事件(?)のあと、駅売りの夕刊紙で、彼女のことを
「新魔性の女」と書いていたのがあって、

まあ、面白がって、そういうふうにいうのが
出てくるだろうな、と私は思ったのだった。

すでに彼女が出ている連続ドラマから
彼女の場面をカットすると言う動きがでているらしい。

東出は役者として消えても構わないが、
唐田は消えては困る。

この逆境を乗り越えるにはどうしたらいいかと考えと、
もう初代の「魔性の女」である蒼井優のように、

お笑い芸人と結婚するしかないのではないか(笑)。
それで、一緒にハロプロの公演を見に行くとか。

あるいは、ほとぼりが覚めるまで、
韓国ドラマで活躍するとか。

 

テレビ東京「病院の治し方」


小泉孝太郎が主演なので、
ある程度は面白いだろうと思ってはいたが、

想像を遥かに超えて面白いドラマだった。

倒産しかかっている病院を立て直すという
実話に基づいた話らしいが、

会計を握っている病院の上層部が
業者たちと癒着していて、コスト意識が皆無で、

好き放題な放漫経営をしているのを
どうやったら正していけるかというプロセスが

実に詳しくリアルに描かれている。

第一回目では、医薬品と医療器具のコストを
削減していく話だが、

会計担当者だけが反対するのではなく、
いつも使っている機器でないと仕事がしづらくなる、

という医師や看護師ら現場の職員らの反対とかもあり、
それらをどうやって打ち破っていけるのか、

というのがスリリングに描かれている。

ものすごくリアルに描かれているがゆえに、

勧善懲悪の単純な話になってない。

業者との癒着とか、上層部がちゃんと仕事をしないとかは
そこら中の組織で、(あえて言えば国全体といってもいい)

起こっていることだろうから、
このドラマは、そういう状況をどうやったら治していけるかの

実験室みたいな感じの話になっていて、
実に興味深い。

小泉進次郎ではなくて、小泉孝太郎に
政治をやってもらったほうがいいのではないか、と

私は一瞬、フィクションと現実の区別が
つかなくなったくらいである(笑)。
 

「コタキ兄弟と四苦八苦」

野木亜紀子がテレビ東京の深夜帯に
オリジナルの脚本を書くという話を聞いて、

ちょっと驚いたのだが、
深夜だから好きに書けるのだろうと想うし、

キャストも古館寛治、滝藤賢一という
メジャーではない癖の強い人々だから、

面白いに違いないと思ったのだが、
そのとおりだった。

このドラマの今の所のキーワードは
「レンタルおじさん」という言葉だろう。

ネット上には「レンタル何もしない人」というのがいて、
結構な有名人で、前は交通費だけでやっていたはずだが、

最近、1回1万円に値上げした、
という話を聞いたばかりである。

交通費だけのときは毎日客がいたらしいが、
1万円というと、そんな金を出してまで、

借りる人がいるのかと大疑問だが、
私はそれについては何も知らない。

ドラマでは1時間1000円で貸し出される
という設定になっている。

1回目は離婚届の立会人の欄に
署名をしてくれ、と言う仕事(?)で、

2回目は、結婚式に出席して、
飲み食いする仕事(?)。

人数が少ない側がレンタルで人を増やすというのは
ありそうな話で、ふーん、なるほどねと思っていたら、

この結婚式というのが、新婦側は本物だが、
新郎側は、新郎も含めて、

全員がレンタルされた人だったという真相が
わかってくる。

この新婦をやっているのが岸井ゆきのなのだが、
彼女が出てきて、ニタァと笑った瞬間に、

私はぞぞぞと背筋に寒気が走ったのである。

と同時に、私は同じくテレビ東京の深夜帯番組だった
「Sicks」というドラマを思い出したのだった。

これについては過去にかなり書いたので、
それを読んでいただけると助かるのだが、

要するに、「大川端探偵社」などとともに、
テレビ東京深夜番組の金字塔ともいうべき傑作で

主役にブレーク前の岸井ゆきのがでていたのだ。

新郎側のほぼ全員がレンタルおじさんや
レンタルおばさんだったというのがわかった途端に、

このドラマは極めてシュールというか、
カーニバルみたいな非日常的な世界に変貌してしまう。

なるほど、野木亜紀子は、こういうでたらめなことが
やりたかったのかと思ったわけだが、

このドラマの舞台みたいになっているのが、
芳根京子がウエイトレスをやっている喫茶店で、

ドトール、スタバ、タリーズが登場してくる前の
個人店主がやっている昔懐かしい場所である。

何しろ、「何何ちゃん、水ちょうだい」
とウエイトレスを呼ぶような古い(人権侵害の)世界である。


「獣になれない私たち」で、ガッキーファンたちの期待を
大いに裏切った世界観を提示して、ブーイングを受けた野木亜紀子が

テレビ東京の深夜帯で、リハビリを兼ねて
自分の好き勝手な世界を提示しようと考えたのだろう。

芳根京子、宮藤官九郎、中村優子まで出ていて、
私にとっては豪華なキャスティングのドラマである。

 

NHKの「大富豪同心」が終わってしまって、
結構寂しい思いをしている。

話は典型的なデタラメな時代劇だったわけだが、
そのデタラメさがリラックスするにはちょうどよかった。

新川優愛が出ているから見ただけで、
他に他意はなかった、というか、

他意しかなかったというべきなのだが、
結構面白かった、

主演の中村隼人という人は、これまで見たことも
聞いたこともなかったが、

上手い人で、このドラマが面白かったのも
彼の存在が大きい。

歌舞伎役者というのは、「表現する」ということに
遺伝子的な何かを持ってるのかもしれないと、思ったほどだ。

話は、この主役の同心が、昼行灯みたいな性格で、
日頃はぼおっと生きてるのだが、

天性の推理力があって、事件を解決してしまうというものなのだが、
見せ場は切り合いの場面である。

といっても格好よく立ち回りを演じるというのではなく、
その逆で、あまりの恐怖で、刀が抜けずに、

「不動化」して、立ったまま意識を失ってしまい、
銅像みたいになってしまうのである。

自分は何もしてないのに、秘密のボディガードらが、
敵をやっつけてしまい、

彼は切り合いが終わった頃に意識を取り戻すという設定。

そうやってるうちに、何もしていないのに、
江戸で一番の剣豪という噂になる

というお馬鹿な設定。

敵が斬りかかろうとしても、彼が完全に不動化していて、
何の防御態勢もとらずに、スキだらけで

銅像みたいに立っているので、
相手のほうが、「これは、すごい達人だ」とか「活人剣だ」とか

勝手に誤解してして、ひるんでしまって、
斬りかかれないのだ。

私はこのドラマを見ている頃に、
ステファン・ポージェスと言う人の

「ポリヴェーガル理論入門」という本を読んでいたのだが、
これは「多重迷走神経理論」という意味で

人間の自律神経は、危機に際して、
「戦うか、逃げるか」という戦略をとって

生き延びてきたと言われているが、
それよりも古い層には、危機に際して、

動物がやっているような「不動化」という戦略をとった時代があり、
人間の自律神経には、その古い戦略が組み込まれており、

危機が大きければ、現代でも、人間は瞬間的に「不動化」してしまい、
それによって危機を乗り越えてきた、という説である。

この観点から見ると、トラウマ反応というのは
不動化した人間に起きるもので、

そこから回復するための治療方法も、
これまでと違う方法があるはずということになる。


大富豪同心というのは、まさに危機に際して
「不動化」して乗り越えている人間であり、

ポリヴェーガル理論そのものである。

新川優愛は剣の達人ということになっており、
この同心に心を寄せており、

若侍風のコスチュームを着て、男になっており、
この同心が不動化しているときに

敵をやっつける役割を担っている人間の一人である。

なんというおバカな設定だろうか。

この同心は剣はできないが、
そのかわりコミュニケーションの達人であり、

新川優愛を始めとして、
女にモテモテということになっている。

おバカではあるが、心地いい設定である(笑)。

(このドラマは、当人が何もしてないのに、
周りの人間らが誤解に誤解を重ねて、

すごい人間だと言う評判を呼んで、最後は大統領候補になってしまう
という、昔のアメリカ映画の「チャンシー」というのを思い出させた。)

まあ、久しぶりに、これほどなんの邪気もなく
ひたすら楽しめるドラマを見たのだった。
 

前々からドトールの素晴らしさは知ってはいるのだが、
この正月はそれをいっそう痛感することになったのである。

というのは、元日などは東京中の喫茶店が
ほぼ全部休んでいる中で

開いているのはドトールだけと言う状態だったからだ。

(いや、たぶんベローチェもやっていたのではないかと思うのだが、
ベローチェがある街は限られているので、

ほとんどすべての駅前にあるのではないかと思われる
ドトールの存在感の大きさの前では

太陽と月くらいの差があるだろう。)

スタバとかタリーズとかはは無論休業している。

とにかく元日などは
ドトール以外はまったく開いていないのである。

外出した人は、老若男女どの層も入ってくる。

だからどこへ行ってもドトールは満席である。

東京の生活はドトールがなかったらどうにもならない。
(私的な意見を大げさにいっているだけだが。)


家と会社以外の場所を「サードプレイス」と名付けて
それの重要性を強調している時代があったが、

考えてみると、あれはスマホ以前の話で、
のべつまくなしどこでもスマホの画面を見ている時代は

サードプレイスの重要性が
以前よりも薄れたかもしれないなどと、ふと思ったりしたが、

いやいや、膨大な数の高齢者がいる現在、
行く場所としての喫茶店というのは

いよいよ必要になっている、という
当然のことに思い至った。

若者は仕事とか勉強でカフェを利用しているが、
年配者は行く場所がないから行くという人が

増え続けている。

なんか、大げさに言えば、政府がやらない高齢者対策を
カフェが肩代わりしているような気がしてならない昨今である。

いやいや、今気がついたが、マックがホームレスたちの
居住場所になっていると言う問題もあった。

こっちのほうがもっと深刻だった。

空き家だらけなのだから、ちゃんと対策をして、
安い家賃ではいれるようにすれば、

ホームレスはいうまでもなく、生活に困っている人が
どれだけ助かるか。

そういうことを考えるのが政治だろうと思うのだが、
五輪はいいとしても、IR とかいって賭博場を作ることしか

考えていない人が多いようなのは
困ったことである。

まあ、こんな私自身ではどうにもならないことを
書いていても仕方ないのでもうやめよう。

元日にドトールしか開いていないというところから
なんで空き家対策まで話が広がるのか、

あまりにも思考が飛びすぎている(笑)。

というわけで、

新年は1月4日から始めますので、

本年もよろしくお願いします。
 

またぞろだが、「俺の話は長い」を見ていて
思い浮かんだことを書いてみようと思う。

安田顕がジグゾーパズルをやっていたことについてだが、
どでかいマチュピチュのパズルを買ってきて、

部屋全体に広げてやっていたのだが、
その大きさが半端なくて、

私のようにジグゾーパズルというものを
1回くらいしかやったことのない人間から見ると

ほとんど病気ではないか、と感じたのだが、
少し時間がたつと、

安田顕は途中で放り出していたらしく、
かわりに生田斗真がやりだしていた。

そこでの会話で
「コージさん、最近やってませんよね」と生田に言われて、

「ああ、ベースをやるようになって、なんかね」と
安田が答える場面があった。

妻にベースを取り上げられてて、
触ることもできない状態だったのだが、

少し前に、経緯があって、
ベースをやるようになったのである。

そしたら、ジグゾーパズルへの関心が
消えてしまったわけだ。

これ、実にうまく、人間のエネルギーの動きというものを
捉えている設定である。

安田は音楽への情熱を封印して生きていた人間であるが、
情熱が消えたわけではないので、

そのエネルギーはどこかで放出されないと
心身が病気にならないまでも、不調になってしまう。

そのエネルギーがジグゾーパズルに向かっていたのだ。

人間がやっていることというのは、
自分でも意識できないところで、

何かの代替のためということがよくある。

簡単な例で言えば、過食というやつ。

うちのお客さんでポテトチップスを食べ続けていた
という人がいるが、

私の施術を受けて、自律神経が整ったら、
ピタッとポテトチップスを食べなくなったという。

その人はポテトチップスへの欲望がなくなったことが
自分でも不思議で仕方ないといっていた。

やめようと努力したわけではない。
知らないうちに消えてしまったのだ。

食欲のような人間の本能と
思われているような欲望であっても

何かの代替のために行われていることがあるのだ。

というか、過食というのは、ほとんどが
エネルギーが向かう場所が適切ではないというところからきている

と私は思っている。

口を動かすというのは、その周辺の迷走神経を刺激する行為であり、
それで緊張を解こうとしているのである。

交感神経が活発化しすぎている人が
リラックスしようとして行っているのだが、

無意識レベルで起きていることだから、
当人もそれに気が付かないだけである。

音楽を封印された安田が
部屋くらいの大きさのマチュピチュのジグゾーパズルを

やっていたのも、
音楽で得られていた癒やしが奪われているから、

他のもので代替しようとして、
無意識のエネルギーに動かされていたのである。

(まあ、薬物に走るよりも
ジグゾーパズルに走るほうがいいのだが(笑)。)

過食というのがほとんどが自律神経の乱れによる
エネルギーの誤作動だと考えると、

ダイエットというものも、違う角度から
考えることができるのだが、

それについてはまた別の機会に。

とにかく、このドラマはさりげなく描かれていることに
重要な問題が隠されているという

まったくもって侮れないドラマである。

時代劇ならば「おぬし、なにやつ」と
驚くところだ(笑)。

「俺の話は長い」は今期ドラマの中でも
一番かもしれないという出色の出来だった。
(まだ終わってないが。)

先週やったやつで、印象的な場面があった。

話ばかりしていて、自分が仕事をしないという理由を
嵐のように壮大にふりまいている

生田斗真に対して、

倉科カナからの伝言がある。

それもたったの二文字だという。

なにかと思ったら、
「やれ」だった。

つまり、「行動しろ」ということだ。


頭の中で考えていると、
世界のあらゆることに対して

あらゆる理屈をいうことができる。

昔は、そういう人間にたいしては、
「御託並べてないで、やれ」という表現があった。

今、グーグルで「御託」を調べたら
「もったいぶって自分勝手なことをくどくどと言い立てること」

と書いてあったが、実に的確な定義であって、
このドラマで生田斗真がやっていることは

まさに、そのままである。
何も付け加えることができない(笑)。


そういう人間に対しては、
いうべきことは一言しかない。

「やれ」だ。

話を少し広げると、
よく考えてみると、ネット社会というのは

誰も彼もが、「御託を並べている」社会である。

言葉、理屈が異常に肥大化している。


その一方で、

学校とか企業とか、「やる」人間が集まっている
リアルな「組織」では、

理屈が通らないいじめとか
パワハラとかが横行している。

こちらのほうの(行動的な)人間に必要なのは、

「やるな」
の3文字である。


いじめとかパワハラとかの横行している
リアルな組織に入って働きたくない

というニートの気持ちも
大いにわかるが、

行動してみないと、何が起きるかわからなくて、
何も始まらないというのも事実である。

そういう点で、このドラマでは
安田顕がやっている人間が

一般社会の「やる」人間と
「やらないニート」の境界線にいて、

生田斗真に「やってみないとわからないことがあるよ」
という忠告をしたりしているのが、

このドラマのうまいところであり、

抜群に面白いドラマになっている理由である。

とにかく役者がみんなうまくて、
脚本が素晴らしくて、

いつまでも見ていたいドラマだった。
(あと一回あるけど。)