今年度は中学受験生を3人指導している。3人とも6年生だから、入試を想定して学習を進めている。
子供が問題を解いているとき、私はじっと見ているのだよね。やった結果を見るだけではなく、やっているときの表情や、思考している時間の長さや、様々な過程について、じっくりと観察している。だから誤魔化しは効かないのだよね。
道理を得て納得して解いているのか、何となく答えを出しただけなのか・・・
正解しても私の目は誤魔化せないよ。
曖昧さが残る解答をすると、私の容赦ない追及が待っている。
線分図や面積図を使っていたとしても、問題の意図を汲み取って描いているのか、何となく塾の先生の描いていたことをまねてみているだけなのか・・・
そんなことは私が目の前にいたら分かってしまうわね。
何となく解いただけの解法が、入試のときに使えると思う?そんなに甘くはない。
それが学校ごとの偏差値に表れているように思える。
ある程度の偏差値までの学校であれば、何となく出てきた数字を雰囲気で繋ぎ合わせると答えが出るようになっている。これは・・・
意味まで分からなくても、努力した過程を認めてあげようとする意図かな。
でもある程度以上の偏差値帯の学校では、何となく雰囲気で解答すると、何となく不正解になってしまう。
入試が何のためにあるのか?それは、正しい学習方法が出来る生徒なのかどうかを見極める意味もある。
道理のない
深みのない
意味のない
上滑りした学習しか出来ない生徒を排除するためにある。そういうフィルターを相手は仕掛けてくる。
現代社会は、言われたことを言われた通りに何も考えずにやればいいというわけではないよね。ルーティンでやれることは機械化が進んでいるし、AIの登場で更にそういった面は加速している。
意味の分からないこと、意味の分からなくてもいいことを、
意味もなく、単純作業するのであれば、人間よりもモット優れたものがあるのだから、
人間では適わない。
こんな話もよく聞くよね。塾で難しい単元を扱うとき、上位生のクラスの生徒はとても楽しそうな目をしている。下位クラスの生徒は死にそうな目をしている。上位生のクラスでは難しい道理を理解できるのだから、それは単純作業の単元よりも楽しいだろうよ。それに対して下位クラスでは道理を理解させることなんて最初から諦めているのだから、イミフで退屈でつまらないものになってしまう。
私の授業では、
「塾の先生が〇〇と言っていたことは、□□という意味があったのだよね」
という話をしている。そうすれば、私の授業も塾の授業も楽しくなるよね。単に問題の解き方を教えたとしても、そんなのの効力が続くのはせいぜい週テストまででしょ。入試を考えたら、意味を深く捉えておく方が効果が高いのは当然だわ。
いくた
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