計算力の源泉 | 中学入試と医学部入試の道の駅

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この記事についてご質問いただいたので、お答えしたいと思います。

計算力は幼い頃から数字に触れているか、また数字についてどのようなイメージを持っているかが重要だと感じています。
その方法については、公文式や珠算をお勧めする声もあります。そういったものも確かに効果的であるとは思いますが、必須ということでもなく、万能ということでもないでしょう。

私自身の経験を基にお話をするのであれば、私も計算力はある方だったと思います。大学受験の頃には、センター試験ならば数Ⅰ45分、数Ⅱ30分くらいで解けるくらいではありました。(当時は数Ⅰの方が分量が多かった)しかし、何か計算に関する習い事をしていたことはありません。

私自身が数字に興味を持ったのは

私の弟は生まれつき身体が弱く、母は病院に付きっ切りで、私は保育園に2歳の頃から預けられていました。祖母が面倒を見てくれることが多かったのですが、私に足し算や引き算や掛け算の筆算まで教えてくれていたんですよね。就学時には2桁2桁の掛け算くらいは出来ました。
ちなみに、祖母は学歴があるわけではありません。尋常高等小学校卒業で、製パン会社の経理部長まで叩き上げた人です。

そして、祖母や母の買物にはよくついていきました。スーパーや魚屋の値段も覚えていたので、母には、あれは高いからやめた方がいいとか、あれはいつもより安いとか、話していました。
そういった実体験が数字への入口でした。

あの頃に私は「数字は楽しいオモチャだ」と認識していたんですね。

私の教え子の計算力パワーズは、特に何か習い事をしていたとか、◯◯メソッドとか、そういうことのない人も多いです。お母さんに聞いてみると、買物のお会計で数字が好きになることは意外と多いように感じます。

私が計算力の源泉だと感じていることは、御家族を通して数字との繋がりを見いだし、ファミリアな気持ちを持つこと。こういった体験の中で、数強者が発生していくものと感じています。

ちなみに、私自身逆の意味での体験もあります。計算は祖母に教えてもらいましたし、将棋は祖父に教えてもらいました。本も読んでもらったので、ひらがなは早くから読めたのですが、カタカナは読めなかったんです。

その影響で、中学高校時代は、世界史と地理が半端なく苦手だったんです。カタカナものの記憶力が効かないんですよね。深層心理で、カタカナは自分のものだと認めていないのでしょう。今でもカタカナにはそこはかとない違和感を感じることもあります。

今日の話は私の意見です。様々な計算メソッドを否定しているわけではありません。公文式をやっても珠算をやっても、数字が友達に感じられないならば、それは適合しないものだとはいえますよね。

いくた