(地震・災害関係1601)1.17
阪神大震災発生から21年を向かえました
東日本大震災が起こる前から、毎年、繰り返しつぶやいていた以下の文章を今年も読み返します
「地震はまるで予測のできない地球からの戦いのようなものです
どんなところで起こっても、被害地の様子はまるで戦場のような気がします
どんなところであっても、地震列島に住む我々は、普段からの防災準備を各自が心がけないといけませんね
①風呂に水をはる
②枕元に靴(上履き)・懐中電灯・貴重品を置く
これぐらいは簡単にできるでしょう」
東日本大震災の地震発生時、我が家は、風呂に水をはっていたので断水には対処できたし、手元に上履き・懐中電灯・貴重品があったので、その後の停電や足場の悪いところには問題ありませんでした
何事も、普段からの準備からと言うことを実感したのです
気象予報以上に地震の予測は、未知数が多く、まだまだわからない事が多いと思います
今後、地震観測や予測に対するシステムも研究開発が進んで欲しいものです
いろいろありますが、そろそろ、大きな地震があると思います
毎朝、全国で起こっている地震を見てますが、全国的にM4前後の地震が頻発していますから
それから、富士山も不気味な存在だと思っています
自然の前に人間は無力です
だからこそ、過去(阪神淡路大地震、東日本大震災等々)の教訓から学んで、覚悟と備えが必要なんだと思います
(去年(2015年)の記事を引用しました)
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そして、今日誕生日のすべての人へ
お誕生日、おめでとうございます!!
これからはじまる一年が、健やかな日々でありますように。
そして、今日あることに、みなさまのご先祖様に感謝し、明日が素晴らしい日々でありますように、祈っております
(・∀・)
(映画1605)「キル・ビル」再び??
「「キル・ビル」第3弾の可能性否定せず「ユマとまた一緒に仕事を」(Narinari.comより、2015年12月)」
クエンティン・タランティーノが、「キル・ビル」第3弾の製作をする可能性があることを明らかにしたようですね
ユマ・サーマン主演の同人気シリーズの監督を務めたタランティーノは、現在製作が進行中というわけではないとしながらも
「可能性は間違いなくあるよ。可能性については否定しないよ」
「特に1つの理由としてはユマと僕はまた一緒に良い仕事をしたいと思っているからね」
とコメントしているそうです
何と言っても、「キル・ビル」は自分が好きな梶芽依子さん主演の「修羅雪姫」のオマージュ的なシーンが多くあり、大好きな作品の一つです
映画「キル・ビル2」が2004年公開
もう、12年も経過しています
ウィキペディアによると、第3弾は、キル・ビル2から10年後の世界を描いたものを構想しているそうです
そこには、GOGO夕張の双子の片割れ、ヴァニータ・グリーンの娘ニッキ、暗殺集団のボス・盲目のエル・ドライバーが登場するとか
GOGO夕張の双子の片割れとなると、栗山千明さんの再登場か??
ここは、役者を代えないで欲しいなあ
双子ということなんだから
実現して欲しいなあ
もう、10年以上経っているのだから
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(‐^▽^‐)
(音楽1603)今日は、ある女性シンガーソングライターの誕生日
今日(1月15日)は、女性シンガーソングライター森田 童子(もりた どうじ、1952年1月15日)さんの誕生日
名前の漢字を見れば女性と感じるけど、その名前を耳にすると、いったい性別はどっちと思ってしまうのでは?
1970年代に活動していたのかなあ
今の歌手は、テレビやネットなどのメディアに露出が多いけど、このころの歌手特にシンガーソングライターは、ライブハウスやコンサート中心に活動して、ほとんどメディアには出てこなかった
自分が好きな山崎ハコさんや、友だちが好きだったやまがたすみこさんも、そうだったかも
森田童子さんもその1人だったでしょう
レコードやFMの曲紹介でその存在を知ることがありましたが、それ以外は詳細を知ることはありませんでした
だから、彼女の曲はほとんど知らない
でも、1曲
「ぼくたちの失敗」だけは知っていた
たぶん、曲を聞けば、わかる人が多いのではないでしょうか?
この曲、実は、1993年に真田広之さん・桜井幸子さん共演、そして、2003年に藤木直人さん・上戸彩さん共演したドラマ「高校教師」の挿入歌として使われました(その他の曲も使われています)
このドラマは、教師と生徒の恋愛・同性愛・強姦・近親相姦・自殺など、当時に問題となっていた「社会的タブー」を真正面から扱った作品として、非常に話題になったもので、そのインパクトが強くて、使用された「ぼくたちの失敗」も視聴者の耳に残ったと思います(ウィキペディアより)
でも、自分は1970年代にこの曲を知っていたので、ドラマ「高校教師」を見たときは懐かしさを感じました
さすがに森田童子さんの曲は残っていないなあ
(去年(2015年)の記事をそのまま引用しました)
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( ̄▽+ ̄*)
(音楽1602)今日は、ある元歌手の誕生日
今日(1月15日)は、キャンディーズのメンバーだった藤村美樹(愛称ミキ、1956年(昭和31年)1月15日)さんの誕生日
先日(1月13日)に、同じくキャンディーズのメンバーだった伊藤蘭さんが誕生日を迎えました
キャンディーズのもう1人のメンバーだった田中好子さんは4月が誕生日でしたね
残念ながら、スーちゃんこと田中好子さんは他界されましたので、もう、三人が揃うことはありません
キャンディーズの2人の誕生日が続いたと言うこともあって、久々に、キャンディーズの歌が録音されているカセットテープを去年(2015年)聞いてみました
Maxell XLⅡ46(46分テープ)
<キャンディーズ>
A面
① 年下の男の子(1975年)
② そよ風のくちづけ(1974年)
③ あなたに夢中(1973年)
④ その気にさせないで(1975年)
⑤ 危ない土曜日(1974年)
⑥ なみだの季節(1974年)
⑦ 内気なあいつ(1975年)
B面
① ハート泥棒(1976年)
② 哀愁のシンフォニー(1976年)
③ 春一番(1976年)
④ やさしい悪魔(1977年)
⑤ 夏が来た!(1976年)
⑥ 暑中お見舞い申し上げます(1977年)
⑦ ハートのエースが出てこない(1975年)
ラン(伊藤蘭)、スー(故田中好子)、ミキ(藤村美樹)の三人娘でキャンディーズ
当時、キャンディーズとピンクレディが二分していた時代だった
キャンディーズとピンクレディがかぶった期間はわずかだったかもしれないけど
でも、自分はキャンディーズだけでした
キャンディーズが解散しても、やっぱり、キャンディーズだったと思います
同級生にキャンディーズの熱狂的なファンがいて、いつの間にか自分も
まあ、コンサートに行ったり、レコード買ったりまではしませんでした
でも、当時、ラジオ人間になっていた自分は、キャンディーズの番組は聞いていましたし、テレビでキャンディーズの出演番組はよく見ていました
思春期まっさかりだった自分
自分の息子達だって、今アイドルに夢中になっているけど、自分にもそんな時代があった
解散とわかってから、キャンディーズが出演するラジオのオールナイトニッポンは全てチェックして、録音しました
それがいまだに手元にあります
解散してからも、ラン・スー・ミキが臨時召集されて、1日だけのキャンディーズができるのではないかと思ったこともあったりなかったり
そうこうしていると、スーこと田中好子さんが他界
年取った熟女のキャンディーズも、トーク番組でも見たかった…
もう、三人が揃うことはない
それは、ビートルズ(ジョン、ジョージ、リンゴ、ポール)がもう4人揃うことがないことに等しい
でも、歌声は永遠に無くなることはない
そして、その歌声から思い出される想い出、それも色あせることはない
息子達だって、自分が夢中になっているアイドルや歌手の歌声をそのうち懐かしく思い出す時がやってくるのだろうね
なんてね
残念ながら、このテープには、吉田拓郎作曲の「アン・ドゥ・トロワ」、唯一センターをミキがやった「わな」、オリコンチャート1位になった「微笑がえし」、ランちゃん作詞のラストソング「つばさ」は入っていない
ちょっと残念
(去年(2015年)の記事をそのまま引用しました)
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γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
(戦争と平和1602)不成功願った米科学者??
去年(2015年)の記事をもう一度
「原爆開発「不成功願った」 米科学者、投下に戦慄(共同通信より、2015年1月)」
米国が第2次世界大戦中に原爆開発を推進した「マンハッタン計画」に科学者として参加したイザベラ・カールさん(93)は去年(2015年)1月に、「(原爆が)成功しないことを願っていた」と証言したようですね
去年(2015年)8月で広島、長崎への原爆投下から70年になるのを前に、米南部バージニア州フォールズチャーチの自宅で共同通信に語ったそうです
計画に関わった科学者が日本メディアの取材に応じるのは珍しいとのこと…
確かに、聞いたこと無い
甚大な被害をもたらした日本への原爆投下には「戦慄を覚えた。多くの人々を傷つけたことに胸が痛んだ」と述懐したようです
一緒に研究していた人のほとんどは成功しないことを願っていたということですが…
だったら、研究を中止して欲しかったと思います
当時は軍部の締め付けも厳しかったのでしょうね
嫌々ながら研究や開発をした人が多かったのかもしれません
中には、「リメンバーパールハーバー」と思って、憎しみと共に開発していた人いたかもしれません
大きな流れに人々は翻弄されてしまったのでしょう
だから、始めが肝心なのでしょうね
どちらの道を選択するのか?
それで、すべてが決まるのでしょうね
今、また、世界はきな臭い道に進みそうで心配です
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(・∀・)
(音楽1601)今日は元演歌歌手の誕生日
今日(1月14日)は、元演歌歌手である小川 順子(おがわ じゅんこ、1957年1月14日)さんの誕生日
小川順子と言う名前を覚えている人はいるだろうか?
ほとんどの人がわからないでしょうね
1975年4月徳間音工から「夜の訪問者」と言う曲でデビューしたのですが、その3年後の1978年3月をもって芸能界を引退しているので、彗星のようにやってきて去っていった感じですね
でも、当時の自分にとっては強烈なインパクトの演歌歌手でした
(現在の演歌歌手にはほとんど興味は無いのですが…)
まあ、故郷広島市の隣の呉市出身であり、デビューした1978年末の「第17回日本レコード大賞」他、多くの新人賞を受賞したので、テレビや雑誌の露出は多かったと思います
「きっと、きっと、また来てね、優しい私の夜の訪問者」などのフレーズが記憶に残る「夜の訪問者」
当時の自分の波長に合ったのでしょうね
今でも共感します
その他の歌手のレコード・DVDはほとんど破棄したのですが、彼女のレコードは手元にまだ残っているのです(その他の歌手とは、石川さゆり、桜田淳子、山口百恵、西川峰子、片平なぎさ、斉藤由貴です)
それは、小川順子「涙色の世界オリジナルファースト」と小川順子「セカンド・アルバム 十九の恋唄」です
でも、プレーヤーが無いから聞けない!!
カセットテープに落としたものが残っていましたので、去年(2015年)何十年ぶりかで聞いてみました
二十数年前のコンポは健在ですので
やっぱり、良いです(多少カセットテープは劣化していたけど、よく聞くことができたなあ)
今の演歌には興味はありませんが、このころの演歌はやっぱり、自分の心に響きます
当時(1975年、1976年)、ポーラテレビ小説(1975年、TBS)や大江戸捜査網 (1975年・1976年、12ch / 三船プロ)に出演されていたんですねえ
多分、見ていませんが
今はどうされているのかなあ
HITACHI LN120(120分テープ)
小川順子
A面
1.お返事下さい
2.過ち(あやまち)
3.夕陽
4.あの彼(ひと)
5.愛のドラマ
6.好きよあなたと暮らしたい
7.恋もあなたもさようなら
8.十九(じゅうく)は涙色
B面
1.夜の訪問者
2.夢を枕に
3.今日は愛して
4.涙のみなと
5.煙草のけむり
6.幸福ください
7.忘却旅行
8.男の世界
(去年(2015年)の記事をそのまま引用しました)
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(°∀°)b
(戦争と平和1601)(訃報)デヴィッド・ボウイのメッセージを今一度
「D・ボウイさん死去 布袋ショック「僕の人生変えた人」…矢野顕子も思い出記す(デイリースポーツより、2016年 1月)」
「D・ボウイ氏 がんで死去 69歳の誕生日迎えたばかり 「戦メリ」で日本でも人気(スポニチアネックスより、2016年 1月)」
「スターマン」「レッツ・ダンス」などの大ヒット曲で知られる英ロックシーンを代表する歌手、デヴィッド・ボウイさんが1月10日、死去しました
69歳だったそうです
1年半にわたりがんで闘病していて、愛する家族に見守られての最期だったそうです
最初、ネットでニュースを見たときは、思わず声を上げてしまいました
スーパースターもがんには勝てなかったか…
1983年に公開され、坂本龍一さんやビートたけしさんとの共演も話題になった大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」に主演したのが思い出されます
自分としては、デヴィッド・ボウイの曲をよく聞いていたわけではありませんでした
でも、海外アーティストの曲を聞くときに必ずと言っていいほど、彼の曲が耳に入ってきたと言っていいと思います
1977年に発表された「ヒーローズ」(”Heroes”/David Bowie)
2007年にNHKEテレの「ジュークボックス英会話」で紹介されました
当時、米ソ冷戦下にあって、ベルリンの壁が存在していたときに、彼はそれに向けてメッセージを込めて作ったとされています
デヴィッド・ボウイの反戦歌と言うべきものでしょうか?
歌詞の中にもベルリンの壁を思わせるwallと言う歌詞や、敵と言う表現のthemやgunsという歌詞が出てきます
そんな中でも、デヴィッド・ボウイは、愛する男女は1日だけヒーローになれると強調する
”Heroes”/David Bowie
I,I wish you could swin
Like the dolphins
Like dolphins can swin
Though nothing,
Nothing will keep us together
We can beat them
Forever and ever
Oh,we can be heroes
Just for one day
I,I will be king
And you,you will be gueen
Though nothing
Will drive thme away
We can be heroes
Just for one day
We ca be us
Just for one day
I,I can remember
Standing by the wall
And the guns
Shot above our heads
And we kissed
As though nothing could fall
And the shame
Was on the other side
Oh, we can beat them
Forever and ever
Then we can be heroes
Just for one day
We can be heroes
We can be heroes
We can be heroes
Just for one day
(歌詞は「ジュークボックス英会話」より)
今は米ソ冷戦時代は終わり、ベルリンの壁は無くなった
しかし、テロリストが世界をはびこり、あちこちで命を落とす人が今でもいる
さらには、未だに南北寸断された朝鮮半島に緊張が走る現在
デヴィッド・ボウイのメッセージをもう一度、聞き直してみてはどうだろうか?
改めて、ご冥福を申し上げます
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(・∀・)
(映画1604)ある女優さんの誕生日
今日(1月13日)は、女優:伊藤 蘭(いとう らん、1955年1月13日)さんの誕生日
今は、女優と言う肩書きですが、自分にとっては、やっぱり、キャンディーズのランちゃんと言う思いが強いです
キャンディーズは自分が高校時代のときのアイドル
友だちに熱狂的なファンがいて影響されてファンになってしまいました
当時、自分は、キャンディーズのメンバーであるラン(伊藤蘭さん)、スー(故田中好子さん)、ミキ(藤村美樹)のうちのミキが好きでした
キャンディーズが解散して、それぞれが自分の道を歩み、ランちゃん、いや、伊藤蘭さんは、女優の道に
彼女が初めて出演した映画「ヒポクラテスたち」(1980年)はリアルタイムではありませんが見ました
その後、ちょくちょくテレビで彼女は見ましたが、久々に彼女が出演した映画「少年H」(2013年)は映画館で見ました
もう、彼女もお母さん役なんですねえ
その他、彼女の出演した映画やドラマで見たことがあるのは以下です
映画「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」(1980年)
テレビドラマ「こころ」(2003年、NHK)
テレビドラマ「フルスイング」(2008年、NHK)
テレビドラマ「学校じゃ教えられない!」(2008年、NTV)
テレビドラマ「風のガーデン」(2008年、CX)
こうやってみてみると、意外に彼女の出演作品を見ていない
もっと、見ていたと思っていたのですが…
ネットを調査して知ったのですが、父方の曾祖父は第15代広島市長・伊藤貞次(1878年 - 1943年、新潟県岩船郡出身)だったのですね(ウィキペディアより)
知りませんでした
久しぶりにキャンディーズの歌でも聞くかなあ
(去年の記事をそのまま引用しました)
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ヘ(゚∀゚*)ノ
(雑談16004)ブログ8年目に突入!!
アメブロに登録したのは8年前の2008年の3月
あるタレントの日記を読むために登録しただけで、自分がここに記事を書くなど微塵も思っていませんでした
そして、実際、記事を書き始めたのが、7年前の2009年1月
その1年間は、ペタを受けるだけでした
当時、ペタは不規則ですがいつも一人の人から来てました
故郷広島県のある議員の人
(この方は母校の後輩でした。現在独自のHPに移行されました。)
そのうち、そのペタが2人になり、3人になり、多くなっていったのです
しばらくブログのプロフィールは何もなく、記事なぞ何も無かったにもかかわらずです
その後、なんとなく書き始めた記事
ただ、他のブログ(楽天とauです。今はやってません)では、すでに2008年から記事は書いていました
ただ、そこのブログよりアメブロが面白そうだから、乗り換えたと言った方がいいでしょう
アメブロでここまで続いているのも、自分のブログに「ペタ」「いいね!」(意志のある足跡)を残している方々がいらっしゃるからだと思っています
(自分はブログ訪問者に対して、「来る人拒まず、去る人追わず」のスタンスでおります)
いままで、数多くの方に「ペタ」「いいね!」を残して頂きありがとうございました
今でも、1日30名前後の方に「ペタ」(「いいね!」は10名前後)を頂いています
この方々に、感謝を申し上げなくてはなりません
自分も負けじと、その方の記事の更新の有無に係わらず、挨拶のペタをつけています
ただし、ペタが極端に途切れる方はこちらもペタ返しを遠慮するようにしてます
気に入った方のブログには朝のおはようペタを残しています
記事も一時期寝込んで途切れた時以外(1日か2日)は、途切れることなく毎日続いていると思います
何しろ、記事の文末に、365日、その日の誕生日の人々の誕生祝いの文を挿入したものでしたので、365日何かの記事をアップしなくてはならないからです
記事を書き始めて、アメブロのブログネタはいっさい使っていません
ネタは、観察すれば、何処にでも転がっているからです
これからも、長期の入院・不慮の事故・極度の貧乏・この世におさらば(意外に近いかも)など無い限り、老人の独り言をつぶやいて行こうと思っています
これからもよろしくお願い致します
(毎年、同じ文面ですみません。気持ちはいつも同じものですから…)
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о(ж>▽<)y ☆
(カープ1601)(訃報)代打一筋の人生
「(訃報)村上孝雄さん79歳=元プロ野球・広島選手(毎日新聞より、2016年1月)」
村上孝雄さん79歳(むらかみ・たかお=元プロ野球・広島選手、元スカウト部長)が1月8日、心不全のため死去されました
北別府さんのブログやカープファンのブロガーさんの記事より知りました
自分は、村上さん、いや、当時の宮川孝雄さんを意識して見たことはありませんでした
しかし、当時のカープの中でも代打一筋の野球人生であった伝説の人だったことを覚えています
昭和35年(1960年)、ノンプロの門鉄から宮川孝雄さんはカープに入団しました
172センチ75キロと小柄ですが、「門鉄の黒鬼」とまで異名をとる左のスラッガーでした
しかし、その頃のカープには大和田、平山の右打者に、森永、横溝、木下、山本一と、左の外野手も多くて追い抜くのは楽ではありませんでした
しかも、彼は故障が多かった…
若い頃に大病を患い、その時飲んだ薬で骨質がもろくなっていたのと、球に向かっていく気の強さでよく死球を受けていました
レギュラーになれぬのなら…
彼は代打に自分の活路を見いだしました
彼がどれだけの努力家であったか語るのに
「尻から血が出るほどやっても、まだバットを振っていた」
というエピソードは有名です
昭和38年6月1日の後楽園球場での対ジャイアンツ戦で、同点の9回表の土壇場で後楽園球場の右翼スタンドの場外へ代打勝ち越しホームランを放った時も、ベンチ裏で四百本近く素振りを繰り返していたそうです
その努力が彼をリーグ一の代打男に押し上げ、代打一筋で15年間も活躍することになったのです
特に、昭和47年の打率4割4厘という数字は驚異的です
代打で62打数21安打10四死球
出塁率は実に5割
その年の8月には6連続代打安打という記録まで作ったのです
そんな凄い選手がカープにいたのです
ちなみに彼は昭和49年のシーズン限りでユニフォームを脱ぎスカウトに転じました
まさにカープ初優勝の前年
カープがどん底の3年連続最下位に沈んでいる時でした
そして、スカウト就任一年目にして、北別府獲得
いきなり、スカウトでもクリーンヒット
それが、今回お亡くなりになった宮川孝雄(現村上孝雄)さんなのです
しかも、背番号は「2」でした
(月刊カープファン増刊赤ヘル大百科・赤ヘル小辞典より)
この背番号「2」は、苑田、高橋慶彦、東出等々と蒼々たる選手が付けてきました
今年、この背番号「2」を今後期待される田中広輔選手が背負います
宮川さんを始め、今まで背負ってきた選手に恥じないような活躍をして欲しいと思います
そして、宮川孝雄(現村上孝雄)さんに対しては、改めてご冥福申し上げます
*…*…*…*…*…*…*…*
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*…*…*…*…*…*…*…*
(・∀・)

