(カープ1601)(訃報)代打一筋の人生
「(訃報)村上孝雄さん79歳=元プロ野球・広島選手(毎日新聞より、2016年1月)」
村上孝雄さん79歳(むらかみ・たかお=元プロ野球・広島選手、元スカウト部長)が1月8日、心不全のため死去されました
北別府さんのブログやカープファンのブロガーさんの記事より知りました
自分は、村上さん、いや、当時の宮川孝雄さんを意識して見たことはありませんでした
しかし、当時のカープの中でも代打一筋の野球人生であった伝説の人だったことを覚えています
昭和35年(1960年)、ノンプロの門鉄から宮川孝雄さんはカープに入団しました
172センチ75キロと小柄ですが、「門鉄の黒鬼」とまで異名をとる左のスラッガーでした
しかし、その頃のカープには大和田、平山の右打者に、森永、横溝、木下、山本一と、左の外野手も多くて追い抜くのは楽ではありませんでした
しかも、彼は故障が多かった…
若い頃に大病を患い、その時飲んだ薬で骨質がもろくなっていたのと、球に向かっていく気の強さでよく死球を受けていました
レギュラーになれぬのなら…
彼は代打に自分の活路を見いだしました
彼がどれだけの努力家であったか語るのに
「尻から血が出るほどやっても、まだバットを振っていた」
というエピソードは有名です
昭和38年6月1日の後楽園球場での対ジャイアンツ戦で、同点の9回表の土壇場で後楽園球場の右翼スタンドの場外へ代打勝ち越しホームランを放った時も、ベンチ裏で四百本近く素振りを繰り返していたそうです
その努力が彼をリーグ一の代打男に押し上げ、代打一筋で15年間も活躍することになったのです
特に、昭和47年の打率4割4厘という数字は驚異的です
代打で62打数21安打10四死球
出塁率は実に5割
その年の8月には6連続代打安打という記録まで作ったのです
そんな凄い選手がカープにいたのです
ちなみに彼は昭和49年のシーズン限りでユニフォームを脱ぎスカウトに転じました
まさにカープ初優勝の前年
カープがどん底の3年連続最下位に沈んでいる時でした
そして、スカウト就任一年目にして、北別府獲得
いきなり、スカウトでもクリーンヒット
それが、今回お亡くなりになった宮川孝雄(現村上孝雄)さんなのです
しかも、背番号は「2」でした
(月刊カープファン増刊赤ヘル大百科・赤ヘル小辞典より)
この背番号「2」は、苑田、高橋慶彦、東出等々と蒼々たる選手が付けてきました
今年、この背番号「2」を今後期待される田中広輔選手が背負います
宮川さんを始め、今まで背負ってきた選手に恥じないような活躍をして欲しいと思います
そして、宮川孝雄(現村上孝雄)さんに対しては、改めてご冥福申し上げます
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最後までお読み頂き
ありがとうございます♪
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