前回に続き、31日(水)の花咲盛の様子です。視察中に長野教授がイノシシの足跡と、ケヤキにある鹿の角とぎあとを見つけられました。私としては、ちょっと大げさですが両方とも初めて見た森の痕跡でした。
また、あらためてウメバチソウの群生等を見させていただいた感動の一日でした。
31日(水)、今回は東海大学の長野教授と来年4月から准教授になられる的場氏との訪問です。この日も宇野公子さんに、いろいろな植物の名前を教えていただきました。
写真は上から順にミヤマキリシマ、ママコノシリヌグイ(ピントがずれていました。残念!)、ムラサキセンブリ、ハタケシメジ、ツルフジバカマ、サワヒヨドリ、ヒオウギ(中に黒い実)、ハガクレツリフネです。
ハタケシメジは前回、公子さんに頂いたすまし汁に入っていましたが、素晴らしい味と触感でした。余談ですが、公子さんは以前、栄養士をされていたそうです。
元和元年(1615)に一国一城令が出されましたが、肥後の国熊本は熊本城と麦島城の一国二城体制が特別に認められていました。しかし、元和5年(1619)、大地震によって城は倒壊したと伝えられています。熊本藩主の加藤忠広は幕府の許可を得て、新たに城を再建します。それが現在の八代城です。
明治3年(1870)に八代城は廃城となりますが、八代町民の願いがかない、南北朝時代の後醍醐天皇の皇子(おうじ)、懐良親王(かねながしんのう)顕彰(けんしょう)のために城跡の本丸に八代宮を設置することとなります。そして同年、社格が官幣中社(かんぺいちゅうしゃ)に列せられることとなりました。
昭和38年1月には、八代城跡として熊本県指定の史跡になっています。
ブログ1年目のお祝いに弾薬斑中谷さんから、花束をいただきました。
ありがとうございました♪
ある計画の打合せのため、阿蘇郡高森町の花咲盛(はなさきもり)を訪問し、驚きました。ここは阿蘇地域の持つ植物のポテンシャルを信じられないほど高くした聖域ともいえる森で、本当の意味での私の「発見の森」となりました。
これは保護と維持管理をされているオーナーの宇野ご夫妻と100名を超えるボランティア会員の皆さんの10数年におよぶ努力により成しえた奇跡です。
この奇跡の森の形成には、10万平方メートル(東京ドーム約2個分)の敷地内にある栄養豊富な黒い土が大きく寄与しているようです。そして、3月の野焼きも遷移を食い止める大切な行事だとお聞きしました。
10月24日(水)にお伺いしたときは、ヒゴタイ、シマカンギク、ハバヤマボクチ、ウメバチ、リンドウ、ヤマラッキョウなどが咲いていました。
帰りにはむかごをお土産に・・・。家に帰ってから、「むかごご飯」にしておいしくいただきました。
今回の石橋は熊本県下益城郡の美里町(みさとまち)にある二俣橋(ふたまたばし)です。
釈迦院川と津留川の合流点に連なって架かるこの二橋は、重要道路が交差する要所であり景観も良く往来する人々のよき休憩所となっていたようです。
この二橋の特徴は直角にかかっている点と橋の長さ、幅、高さがほとんど同じということで別名を二子橋と呼ばれています。
第一橋(釈迦院川)の架橋は文政12年(1829年)
橋の長さ 28.0m
橋の幅 3.3m
橋の高さ 8.0m
第二橋(津留川)の架橋は文政13年(1830年)
橋の長さ 27.0m
橋の幅 2.5m
橋の高さ 8.0m
武徳殿(ぶとくでん)とは、現在の都道府県立や市町村立の武道館に相当するものです。明治28年(1895年)に設立された大日本武徳会の本部および全国各地の道場を、平安時代の武徳殿(大内裏にあった殿舎の一つ)に因んで同じように呼んだようです。
芦北町立武徳殿は、昭和12年に剣道・柔道を行う武道場として建てられました(現在は歴史資料の保管場所に利用)。外観は二重ですが、上は明かり取り窓で、内部は平屋です。1階の窓は大きく開くなど武道場らしい工夫がみられる特徴ある建物で、町の象徴的な存在となっています。
玄関は改造されていますが、平成10年1月に国指定の文化財になっています。写真は9月11日(火)のものです。