新津章夫 Official Blog 《迷宮の森》

新津章夫 Official Blog 《迷宮の森》

謎に満ちた迷宮のギタリスト、新津章夫のオフィシャル・ブログ。迷宮の森 《Forest in maze》

 1978年、作曲、編曲、演奏、録音、エンジニアリングまですべてを一人で行ったアルバム「I・O(イ・オ)」でデビュー。1980年代初め、インクスティック六本木の金曜日といえば、新津章夫のライブでした。スノッブという言葉さえ知る人も少なかった時代。まさに最先端を行くクリエイターたちがこぞって集まりました。実働9年間で3枚のアルバムを残し音楽家としての活動を休止。2002年1月、呼吸不全のため49歳の若さで逝去。現在、アルバムのCD復刻や未発表テイクのCD化を進めるとともに、このブログで新津章夫の軌跡を巡ろうと思います。





新津章夫のCD発売元ブリッジのサイト : BRIDGE INK.

新津章夫は病的なほどの写真嫌いです。一応、プロミュージシャンだったのでレコード会社はプロモーション用の写真を撮ったり、雑誌のインタビューがあれば写真も撮られるのですが、な~んにも残ってない。

 

というわけで、過日の「ギターマガジン」誌の特集でも本人の写真はおなじみのこれしかないんです。

 

 

これはなんで視線の定まらない表情をしているかと言うと、撮影したのが私だからです(笑)。

 

場所は六本木の旧防衛相前にあったインクスティック六本木。たまたま私が取材帰りに兄のライブでも見に行ってみるかとリハ後に撮影したもの。取材帰りだったため一眼レフカメラを持っていたので、それでパチリと撮ったものです。この珍しい虫でも見るかのような目線はそういう理由です。

 

もう1枚、手元にある写真と言えば、やはり六本木にあった日本フォノグラム(フィリップス・レコード)のスタジオで「I/O」のミックスダウンをしている時の横顔と後姿のみ。それが、これ。

 

いやぁ、懐かしい調整卓! オーラトーン5Cスピーカーも載ってますね!!

 

 

まぁ、フォトジェニックでもなんでもないオッサンの写真を見たいって珍しい人もいないでしょうから、こんなもんでお茶を濁しておきます。「Petstep」のプロモ写真にはチェロを持った抒情的な写真なんかもあったんだけどなぁ(笑)

 

 

 

細野晴臣さんのラジオ番組「Inter FM 細野晴臣 Daisy Holiday!20251026 midnight」で新津章夫の未発表音源盤「LATE MINIMALISM 1981-84」に収録されている「Petstep - original」を紹介してくれました(選曲は岡田崇さん)。

 

1982年のアルバム「Petstep」(旧ジャパン・レコード)は細野さんがアドバイザー参加をしてくれました。今回の「LATE MINIMALISM 1981-84」に収録されている「Petstep - original」はタイトル通り、その時に収録された「Petstep」のテイクとは異なる、たった58秒しかないオリジナルバージョン。「Petstep」は最初から読んでも最後から読んでも同じ「PetSteP」で、新津章夫がこだわった回文やシンメトリー、パラドックスなど視覚やロジックの不思議を現した曲名。

 

「Petstep」の制作会議(これは細野さんはノータッチです)にて「58秒ではあまりにも短い…」との判断が下され、帰宅した兄の憤慨たるや…(笑)。なにしろたった1分弱の曲の中に倍速ギター、オシレーター&シークエンサーによるリズム、さらには生楽器のチェロを織り交ぜて作ることがどれだけ大変か。それを音楽の本質とは全く関係のない「曲が短い」という意見で却下されては話になりません。

 

その時から40年以上、ずっと封印されていた音源ですが、今回の「LATE MINIMALISM 1981-84」で日の目を見れて本当によかったです。

 

なお、「Petstep」のメロディのモチーフは1962年にNHKの「みんなのうた」で放送された♪僕らはみんな生きているで始まる名曲、「手のひらを太陽に」のサビの部分、♪ミミズだって、オケラだって、アメンボだっての部分の譜割を変えたもの。偶然ではありますが、この曲の作詞者、「アンパンマン」の生みの親である漫画家のやなせたかしさんは我々の父親とは飲み友達で、やなせさんが浅草の飲み屋で父親と一緒に飲んでいる時に、その場に兄を呼んで描いてもらった似顔絵があります。それが、この絵。左下に「たかし」のサインがあります。

 

 

おそらく兄はそんなことは覚えてなかったと思います。兄が亡くなってこの似顔絵が見つかった時、父親が「これを描いたのはやなせさんだよ」と教えてくれました。この頃、やなせたかしさんは三越を退職して漫画家一本で生きていこうとスタートを切ったばかりで暇だったから気軽に引き受けてくれたそうです(笑)

 

22分50秒から細野さんのご紹介とともに流れます。なお、選曲していただいたのは岡田崇さん。ありがとうございました。

 

 

 

 

 私は実は展示の詳細を知らないのですが(オイ!)、行った方から聞いた話では音楽評論家の方々のアルバムへの論評も展示されていて内容が面白かったとのこと。今はSNS でいつでもどこでも情報を得られますが、逆にそこに行かないと得られないモノってのもありますよね。

 

 新宿近辺に行かれる方はぜひ!!

 

 

 

https://x.com/diskunion_best/status/1987043125253316822

 

 

 

 

昨年の「I/O」アナログ盤の完全復刻のきっかけは2017年の「ギターマガジン」誌の特集「偉大なギター名盤100」に選ばれたことがキッカケでした。

 

今回、「EARLY MINIMALISM 1973-78」「LATE MINIMALISM 1981-84」の発売に際し、新連載「ギタリストの宅録名盤探検隊」で再び取り上げていただきました。ありがたいことです。

 

まぁ、原稿は私が書いているのですが(笑)。

 

ぜひともご一読ください。新津章夫の音楽の作り方を余すことなく書きました。

 

 

大手レコードショップ、新宿「ディスクユニオン」にて、10月15日から11月16日まで「EARLY MINIMALISM 1973-78」及び「LATE MINIMALISM 1981-84」の発売を記念して、「新津章夫アルバム・ポスター展」が開催されます。

 

ダダオさんによる3枚の新作(未発表音源CD+LP)はもちろん、横尾忠則さんのデザインによる1978年の「I/O」も含め、アルバムデザインのみならず新津章夫に関する貴重な写真も展示されます。

 

とにかく写真嫌いで有名で、よくメディアに出回っているタバコをくわえた写真は私がインクスティックでのライブのリハーサル後に「ちょっとカメラのテスト!」と言って撮影したもので、正面を向いている写真はほぼほぼ、この1枚しかありません。

 

「Petstep」発売時にプロモーション用に撮影した写真もあるのですが、発売から40年以上が経ち、どこにあるのかわからない状態です。

 

ぜひ新宿にお立ち寄りの際は、ディスクユニオン新宿店に行ってみてください。

 

 

会場:ポップアップギャラリー新宿 

期間: 2025年10月15日(水)~11月16(日) 

※最終日のみ18:00まで 

お問い合わせ: ベストアルバムストア

 

 

本日9月17日は、実兄、新津章夫20年ぶりの新譜である「EARLY MINIMALISM 1973-78」の発売日です。2002年に新津章夫が死んで2003年には「I/O」がCD化され、2005年に死ぬ間際まで制作を続けていた「サイエンス・クラシックス」が発売になりました。

 

しかし、その後はこのBlogでもご報告したとおり未発表音源のCD化企画はあったものの実現には至らず、私自身も自分の生活に追われる毎日に忙殺されていました。決定打となったのはコロナで、ご存知のように私が住むイタリアは世界で最初に多数の死者数を出し、大袈裟ではしに国家の存亡をかける対応を迫られました。とくに2020年の春の60日間のロックダウンは食料品を買う以外には家から200メートル以上離れることができず、完全な隔離状態になりました。

 

私は妻と娘の三人暮らしでしたが夫婦喧嘩が絶えず起こり、小さな家の中でありながら家族はバラバラの状態。妻も私も仕事が途絶え、正直、兄の音楽どころではなくなっていたのです。

 

2023年には3年ぶりに帰国をしましたが、その時にはもう兄の残したすべてのテープを処分せざるを得なくなっていて(トランクルームを借りて保管していたので)、その整理を始めたのですが、まずは私自身のものからと、その帰国では兄の遺品には手をつけられないままイタリアに戻りました。

 

その年のクリスマス。私の元に日本から一通のメールが届きました。差出人は徳間ジャパン。兄の2枚目のアルバム「Petstep」はジャパン・レコードという会社から発売になっていましたが、その後、ジャパン・レコードは徳間出版に買収されていました。曰く、「『I/O』を再発売したいので許可をもらいたい」とのこと。

 

最初は「ははーん、最近ありがちな詐欺だな。貴方の本を出版しませんか?」的な??と思い警戒したのですが、梁取をする中で「I/O」がヤフオクなどでプレミアが付いているため、それであれば多くの人に聞きやすい価格で復刻すべきだという企画が上がったというのです。まぁ、このあたりはBlogでも書きました。

 

その翌年にはP.Vain社より「Pestep」の中の「リヨン」をコンピレーションアルバムに収録したいというオファーをいただき、さらには今回の企画である「新津章夫の未発表音源集」というお話までいただいたのでした。

 

その時の私の気持ちを正直に言うと「ああ、兄のテープを捨てなくてよかった」です(笑)。

 

この「EARLY MINIMALISM 1973-78」は年度付けのとおり、新津章夫がプロデビューする前、自宅で多重録音を始めた1973年から1978年までの音源があますところなく収められています。特筆すべきは「I/O」の「未来永劫」「コズミックトレイン」「光のオルゴール」などのデモテープ。「I/O」は自宅にプロ機材を持ち込んで制作したことで知らっれていますが、デモテープは4チャンネルのレコーダーとわずかな機材のみで作られているにもかかわらず、音のクォリティを除けば実際のアルバムと寸分かわらぬ完成度になっていることがわかると思います。

 

このデモテープを聞いた三浦光紀氏は実際に兄に会うまでは、これがアマチュアが民生器で作った音だとは半信半疑だったというのは、製作スタッフが異口同音に言っていたことです。このあたりは兄をプロデビューさせた岩田由記夫氏が「I/O」のCDに寄稿してくれたライナーノーツに詳しいです。これを読むためにCDを買う価値があると言ってもいいです(笑)。

 

21歳の新津章夫がどんな音楽を作り、それをどのように昇華させて「I/O」ができたのか。そのメタモルフォーゼの過程を聴いてください。

 

 

いよいよ1週間後には新津章夫の未発表音源盤第一弾「EARLY MINIMALISM 1973-78」が発売になる。今から待ち遠しい限りだ。

 

「EARLY~」及び「LATE~」に至るすべての音楽はファーストアルバムである「I/O」を基点としている。最初から聞いても最後から聞いても同じに聞こえる「オレンジ・パラドックス」、倍速ギターのテクニックの粋を集めた「光のオルゴール」、抒情性と荒々しいディストーションギター、としてバロックが混然一体とする「未来永劫」、細野晴臣さんの「ろっかまいべいびー」のオマージュ「天気雨」、そして、鳥のさえずりから森の小動物の鳴き声、さらには雅楽の笙、篳篥までをギター一本で再現した「迷宮の森」。

 

パラレルに並べるとまったくまとまりのない一曲一曲を「I/O」という一枚の物語にまとめるのには、大きく営業を受けた2枚のアルバムがある。

 

ひとつはプログレバンド、YESのキーボード、リック・ウェイクマン脱退後に加入したパトリック・モラーツが1976年に発表したソロアルバム「ストーリー・オブ・アイ / The Story of I」。聞いていただければすぐに共通性を見出せると思うが、YESの流れをくむプログレ、サンバ、エスニック、欧州的な抒情性ありと彩り豊かなアルバムだが一貫性を感じる。

 

もうひとつはオーストラリアのバンド、セバスチャン・ハーディの「」(1975年)と「フォー・モーメンツ - Four Moments  / 邦題『哀愁の南十字星」と「ウィンドチェイス(1976年)。こちらはフォーカスのようなハモンドオルガンとギターによるプログレ・バンドで、アルバム邦題のように哀愁に満ちたメロディが特徴的だ。

 

この2枚を新津章夫に「アルバム構成の参考にしたらいい」とプレゼントしてくれたのが「I/O」のスーパーバイザーである音楽ライターの岩田由記夫さんである。細かい話だが、新津章夫のギターの特徴のひとつにベンド(昭和名、チョーキング笑)でダウンする時にもピッキングする奏法があるのだけど、岩田さんはすぐさまセバスチャン・ハーディのギタリストのマリオ・ミーロとの共通性を感じたという。ちなみに、マリオ・ミーロはアングロサクソン系ではない。両親はイタリアからの移民だ。そういうDNAの部分にも欧州人の血が騒ぐのだろう。奏でるメロディがアメリカやイギリスのギタリストとは異なる。

 

この2枚のアルバムをむさぼるように聴き、「I/O」の世界を構築していったのが1976~1977年だった。

 

パトリック・モラーツ 「ストーリー・オブ・アイ - The Story of I」

 

 

セバスチャン・ハーディ「フォー・モーメンツ - Four Moments  / 邦題『哀愁の南十字星」

 

 

 

 

面白いYOUTUBEチャンネルを見つけました。Kosuke Tsukudaさんというヘビメタ系のギタリストの方なのですが、バッハの「J.S.バッハ - 6つの小前奏曲 第3番 ニ短調」をマルチトラックで録音した音源を発表しています。

 

9月に発売される新津章夫の未発表音源CD「EARLY MINIMALISM 1973-78」には「バッハとジミヘンの中道を行く」と言っていたバッハが何曲化収録されますが、アプローチの方法がそっくり。

 

こういう試みをするギタリストがいらっしゃることに感激いたしました。バッハ自体はリッチー・ブラックモアもインタビューで「ハイウェイスター」のサビ部分に取り入れた言っているようにバロックとロックの親和性(語呂合わせではないですがw)はとてもいいよく、プログレ・バンドもたくさん演奏しています。

 

ぜひ聞いてみてください。

 

J.S.バッハ - 6つの小前奏曲 第4番 ニ長調 [Little Prelude in D major, BWV 936](Electric Guitar Cover)
by Kosuke Tsukuda

 

https://www.youtube.com/watch?v=g6AmfU-0IPQ&list=RDg6AmfU-0IPQ&start_radio=1

 

同氏のBlog

 

 

 

 

 

 

 

夏の甲子園決勝、日大三高は沖縄尚学に敗れ準優勝となりました。残念。

 

実は日大三高は新津章夫の出身校なのです。1972年のセンバツ優勝時には当時、神戸に住む叔母の家から甲子園に応援に出かけていました。ふだんから野球には興味のない人でしたが、それでも母校が優勝となると黙っていられなかったのでしょう。ちなみに、プロ野球はヤクルト・スワローズのファンでした。

 

当時、日大三高は東京のど真ん中、赤坂にありました。今では考えられませんが、歴史は古く大正時代には赤坂中学校と呼ばれていたそうです。

 

ラジオの深夜放送(パックインミュージック)が大好きな新津章夫は学校帰りには近くにあったTBSラジオに寄って見学したり、公開番組を聴きに行ったりしておりました。

 

ふと、そんなことを思い出した2025年8月23日の午後。