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どの万年筆に入れようかな〜と悩んでいましたが、
しばらく使っていなかったヴィスコンティのゴッホシリーズに入れることにしました。
で、その後、色々と思ったんですが・・・
これまでずっと、そうだと思ってることがあって
それは、「音楽」でも「絵」でも「本」でも
公に出した途端に産み落とされ、子供のようにそれ自体に生命が宿るということ。
ゴッホは当時は全く売れなかったし、とっくに亡くなったのに、作品自体が命を持って、その命はさらにこんなにも新たな作品や商品を生み出している。こんなにも、ずっとゴッホの生命が続いている。
それは「話し言葉」でも「文字」でも、同じ。
だから、今日、ブログのコメント欄をやっぱり閉じることにしました。
(話の飛躍。笑)
別にアンチコメントがついたとかそういうわけじゃなく。
ほんっっとうに、自分が放つものって注意深くした方がいいんです。
放つものは、命を持って、さらに何かを生み出すものだから。
良くも悪くも。
全て自分が責任を持って回収しなければならない法則。
だから、できるだけ本望に向けて放っていたい。
文字も、ノートに書き出したものは、非公開であればまだまだ腹の中。
でも公にした途端に、自分から産み落とされる。
言葉も、独り言の時点ではまだ腹の中。
でも自分以外の他人に話した時点で、自分から産み落とされる。
それは「創造」となり、自分に大きな影響を及ぼしてくる。
だからひたすら自分だけでじっくりと表現して、産んでいかなくては、と思うんです。
(ノートは見せるために書くんじゃない、というのもそれ。)
そしてこういうブログ記事だけじゃなく
例えば友達にコメントするときや、Twitterなどで独り言を呟く時でも、
徹底的に自分の「好き」に向けて、放ちたい。
「嫌い」なものや「ムカつくもの」「勝ち負け」はもちろん、「どうでもいいもの」「そこそこのもの」に向けても、何も放ちたくない。コメント欄を閉じるのは、匿名でそういうものを放ってしまう場を、私が開けておきたくないから。
(一般的なイメージの「ネガティブな言葉」とか「ポジティブな言葉」ということではなく)
ゴッホのひたすら「絵が好き」という魂が、こんな今の世界を創った。
その証拠に、ゴッホに直接関係のないオマージュの万年筆を使うだけで、こんなにも胸がときめく。
こんな現代の私にまで、届いている。
好きの威力って、本当にすごい。
もはや狂気!
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