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ニョキニョキ伸びて伸びきってお花も咲いたので、
カットして花瓶に移しました。
 
 
これも、今日だけの景色♡
 
今この瞬間だけの景色♡
 
 
 
自然を見ていると、やっぱりどこが「完成」でどこが「始まり」でどこが「終わり」かなんてないんですよね。
 
常に「途中」で、「未完成」で、全てが「通過点」
 
枯れることでさえも。死でさえも。
 
「すべての瞬間が完成」という「すべて喜び」の世界しか存在していないのだ。
 
 
これってなんて嬉しいことなんだろう!
 
その真理は、心が、喜ぶ♡
 
とっても喜ぶ♡
 
 
 
 
 
さて、水栽培のお花たちを寄せ集めてみて・・・
ここで初めてものすごい違和感。
 
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水だけで育つ花って、貧血っぽい!😂
 
 
なんていうか、透けてるっていうか
儚げで瑞々しくて
それはそれで華奢で美しいんだけど・・・
 
 
なんていうか、消えそう。
エネルギーが足りない。
貧弱。ひ弱。
 
 
血が通ってない感じ。
 
血が足りない感じ。
 
極度の貧血。笑
 
 
存在感が薄い。
 
 
 
これまで球根からスクスク伸びる姿しか見てなかったから
すごいなー!逞しいな〜!って思ってたけど
 
やっぱり肉(物質)である私たち、土の栄養は大切なんだなぁ。
 
やっぱり、血は大地を巡っているんだなぁ。
 
だから大地で育った作物を食べるんだなぁ。
 
 
 
 
 
布ナプキンのムック本に、こんなことを書きました。
 
経血が自然に還っていく。
 
 
 
 
 
「経血」というのは「大いなる何か」の比喩でもありますし実際的なものでもあります。
 
それは「エネルギー」でも「養分」でもあるのでしょうけど
 
私たちは地に足をつけて
 
グルグルとその養分を循環し合っている、地球という大きな大地の仲間なのですよね。
 
その地球だって、大きな宇宙の仲間です。
 
 
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だから、勝ち負け、二極の世界で生きて分離しっぱなしの人生を送っていると巡らない。
 
どっしりと「神の血」が通らず、貧弱で貧血、満たされず薄い人生になってしまうのです。
 
「辻褄を合わせる」「自分に嘘をつかない」というのは
 
しっかり神の血を自分に流すのと同じこと。
 
 
 
 
水栽培のチューリップ、茎を持っただけであり得ない折れ方をしてしまいました。涙
 
いとも簡単に、ポキっと。
私の手の刺激に全く耐えられなかったらしい!
 
土に植えているチューリップ とは比べ物にならない、か弱さ。笑
 
 
 
 
 
だがしかし
 
そうだとしても、こんなに美しい。
 
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すごいよね、神の愛って。
 
どんな人生でも、どうしたって美しいのだ。
 
だってみんな神の子だから。
 
 
 
 
 
どうせどっちにしろ神が美しさを宿してくれているなら、
 
全てが喜びなら、
 
私はやっぱり地にしっかり根差して、いっぱい糧にして
 
強く、神がくれた美しさをいっぱい表現して
 
生きていきたい。
 
 
 
 
 
どこが完成か、
 
何が正解か、
 
なんてないけど
 
今、この瞬間を!
 
 
 
お花たち、教えてくれてありがとう♡