皆さんは「死にたい」と思ったことありますか?

 

 

私は、1度だけあります。

 

 

昨年、死産する際、「陣痛促進剤」を投与した時です。

 

 

 

 

 

 

 

私はこれまで4回、出産しましたが、それらと全然違いました。

 

・5ヶ月の大きさのお腹(子宮力)で外に出すこと

・生命のない肉体を外に出すこと

 

が、こんなにも物質感(肉そのもの感)があるとは驚きでした。

 

人工的に外に出すために、陣痛促進剤を投与したのですが

それが、ものすごく、ものすごく痛くて!!!

 

痛くてかがみ込んでいたいのに、上を向いて分娩台に寝ていなくてはならなかった時、痛みの感覚が今まで生きてきた中で最大でした。

これまでのどんな時も、経験したことのないような痛さ。

 

これまでの最大の痛みの経験は、長女を出産した時、癒着胎盤だったため、胎盤をベリベリ剥がされた時!

内臓を剥がされる痛さですね笑い泣き

 

そして3番目を生んだ時に、また胎盤が子宮の中に残ってしまい、先生が「ごめん!!」と言いながらどんどん縮んでいく子宮口に腕を突っ込まれて胎盤をゴシゴシかき集めて剥がされた時笑い泣き

 

本当〜〜〜に痛かった。

生まれてから一番痛かったことは?という質問があればこの2件を挙げていました。

 

 

でも、「死にたい」とは頭をかすめもしませんでした。

 

 

 

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お気に入りのミニミニ花器♡実は爪楊枝入れ♡笑

 

 

 

この死産の時は、ハッキリ「死にたい」って思いました。

 

お腹が小さくて今まで経験した出産の時のような「子宮の伸縮する波」も感じないし、

赤ちゃんの肉体自体が機能していないので、そっち側のエネルギーの感覚もなく。

 

 

強烈な先の見えない痛み。

 

初めて「死にたい」とハッキリ思いました。

 

どうしたらこの「死にたい」という本気さ(今思うとなんだそれ?って感じですが笑い泣き)を周りの先生や看護師さんたちに伝えられるか?

 

分娩台から床に強く転がり落ちて見ようかな?

そしたら死ねるかな?

そしたら「この人、気が狂った」と薬か何かで意識飛ばしてくれるんじゃないか?

 

 

本当に長かった。この時間が。

 

結局私はトイレに閉じこもり(😂)一人で出してしまったのですが!

(あの時の安堵は忘れられない😭)

 

 

 

この「死にたい」は、完全に

 

痛みから解放されたい

早くこの肉体を放棄してしまいたい

もうこの痛みを感じたくない

 

でしたね。

 

 

 

 

 

 

その他には、どんなに心が苦しくても、悲しくても、辛くても、世界に一人ぼっちだと思っても、誰も味方がいないと思っても、自分がやってしまった恥ずかしいことで自己嫌悪でどん底に落ちても、「死にたい」と思ったことはありません。

 

だから私の場合、「死にたい」という言葉は「肉体からの解放、肉体的な苦痛からの解放されたい時」に使う言葉だと思っています。

 

もちろん、体と心は連動しています。

悲しい時は胸が引きちぎれるように感じるし、怖い時にはお腹に穴が開いたように感じる。

虚しい時には胸がスゥスゥする。

泣きたい時には喉の奥が痛くなるし、嬉しい時には体が熱くなる。

不満ばっかりの時には体が冷える。

 

でも、「死にたい」とはやっぱり違う。

肉体のあの「ただの痛み」に比べたら全然違う。

 

 

 

「設定変更」を伝え始めたきっかけは、私自身もそうでしたが、「事象」に対して、変な「言葉」を自分で当てはめてしまうことで、とってもハードで、ドSで、クソゲーな世界を創っていたりするからです。

 

 

消えたい。

居なくなりたい。

一人になりたい。

全部やめてしまいたい。

全部無かったことにして自由になりたい。

 

 

こんな風に思ったことは、これまでの人生で腐る程、あります。

今でもよく思っています。

 

 

でも、これらに対して「死にたい」という言葉は当てはまらない気がするのです。

(もちろん当てはめるのは自由です。でもそれ、楽しい?)

 

 

心と肉体は別物なんです。

「車本体」と「運転手」くらい、別物なんです。

 

 (細かく言うと「魂」だけど、ここでは「心」としますね)

 

 

そうハッキリと知ることによって、自分自身で「良い車」であることができるし、また、「良い運転」ができるようになります。

 

 

 

だから、これまでの人生、肉体的に壮絶な痛みをそれほど経験することなく生きてこれたことに感謝します。

 

難病で絶え間ない肉体的な苦痛を持っている方が、(そして治癒の見込みがない方が)「尊厳死」を求めている声を聞くと、「死ぬのはダメだ」とは思えません。肉体の痛みって、その人にしか感じられないものだから人が「耐えろ」なんて言えないし、現代の医療で、「薬で生き延ばすことだけが正解であり良いことだ」とも思えないからです。

 

 

 

 

消えたい。

居なくなりたい。

一人になりたい。

全部やめてしまいたい。

全部無かったことにして自由になりたい。

 

 

これらは、死ななくても叶える方法があります。

 

それがノートブックです。

 

 

全部放り投げて、源に還ることができます。

やーめた!!してあげることができます。

たった一人の聖域に行くことができます。

全部手放すことができます。

 

 

 

 

 

 

 

ここを外側で断絶しなくても、

なんと内側に通路があるんだよ!

 

内側からその場所に行けるんだよ!

 

通路は自分自身の内にあるんだよ!!!

 

 

それが、自分の中に神がいるということなんだよ。

 

神の視点で見る、ということなんだよ。

 

 

 

 

言い方を変えれば、

 

ノートブックは簡単に死ねる方法。

簡単に放棄できる方法。

 

 

ちゃんとその聖域に行けば、

思っていたような重い枷など何もなくて

 

 

自分でつけたものだった。

自分がこうしたかったから、自分で縛っていたんだ。

 

と知ることができる。

 

 

消えたいんじゃなくて

居なくなりたいんじゃなくて

「本当はこうしたいんだ」という本当の願いを知ることができる。

 

 

そうすると、その枷はあっさり外せるのです。

自分でつけたものだから、外し方は知っている。

 

 

 

「ノートブック」や「設定変更」を

「外側を変えるために」とガチガチに外側でやる人がたまに居ますが

 

もうやーめた、

このままでいいや、って

 

放棄するためのものです。

 

 

 

生きなくちゃ!

成功しなくちゃ!

頑張って価値を高めなくちゃ!

 

をやめるためのものです。

 

 

だって、本当は

このままでいいってことにしたくない?

 

 

何も頑張らず

このまんまの自分でいいや、って

ありのままで在りたくないですか?

 

それいいってことにできたら

最高にハッピーだと思いませんか?

 

 

シングルマザーのままでいいし

成功してないままでいいし

何にも夢叶えてないような気がするままでいい

 

このまま生きてていい

 

って、自分が心から思えたら

 

 

それが最高の幸せだと思いませんか?

 

 

その状態で生きた時、心から満ちて(それは痛みがない世界という意味ではない。)過ごすことができる。

 

 

ちゃんと生きるために、ちゃんと死ぬ。

ちゃんと足枷を放棄する。(縛りたくて縛ってたことに気づき、この先どうするか決める。)

 

 

それが、この肉体を乗りこなして

この世界のいろんなことを味わう秘訣だと思うのです。

 

 

 

 

その状況に耐えろということではありません。

 

 

どうすればいいか?

どう在りたいか?

 

そこにたどり着けば、神様からの「最善の一手」が、必ず出てきます。

自分でもびっくりするような背景にだって、いつの間にか自然になります。

 

 

 

コロナ君で、「一人になる機会が増えるから孤独が増える、危ない」なんて言われますが、内側ではものすごく多くの人と嫌でも繋がっている。死んだ人も、生きてる人も、何千何万年も前の人も、これから生まれてくる人も。

 

 

 

そういうような事、これからも伝えたいなと思うし、体現したいと思います。

 

 

 

 

 

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