続きです♡

 

苦行から知る♡その①インド準備♡

 

苦行から知る♡その②辛い、辛いと言いながら食べたい♡

 

 

 

ヒンドゥー教の苦行の祭りの話を前回書きましたが

 

「この男が見ているのは、神の姿か、あるいは脳内麻薬が生み出す幻覚か。ただ傍観者である私が見たのは、幸福を得るためには痛みさえも厭わないという、人間の強さと業の深さだった。」

 

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いつしか

苦しみに耐えたものこそが神に近い

苦しい=偉い・素晴らしい

 

幸せを得るためなら苦しさも気持ちいい

 

になっていくのかな。

 

 

 

 

前も書きましたが「神」という絶対者を自分の中で立てると

 

こんなに頑張って苦しんでる俺、神に近い!

こんなに苦しいんだから認めて!

 

認められるためには苦しまなければならない

苦しければ苦しいほど認められる

 

という、人生すべてにおいて

 

苦しいこそが善

辛いことこそが善

 

という設定になっていくのだろうなぁ。

 

 

この「神」は「自分以外の誰か」だよ。

 

 

 


 

 

 

お釈迦様はものすごい苦行(断食)をして

 

「苦は苦である」と感じました。笑

 

「苦は、苦でしかない」と。

「苦しい、以上!」と。笑

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その後、栄養のある食事をとり、復活し

(それでも後遺症が残ったそうですが)

 

その「苦は苦でしかなかった」という自分の感覚を信じ、

感覚をそのまま「観る」ということを伝えていきます。

「明らめる」ですね〜♡

 

「苦しい、だから偉い」とか

「苦しい、だからすごい」とか

幻をくっつけない。

 

幻をくっつけるから

「こんな俺、悦〜」と幻の勝ち負け世界になる。

  

  

 

 

 

辛い(からい)と辛い(つらい)はどうして同じ字なんだろう・・・

苦い(にがい)と苦しい(くるしい)はどうして同じ字なんだろう・・・

 

と昨日の記事でも書いたけど、

 

「甘い」も「辛い」も「苦い」も「酸っぱい」も「しょっぱい」も、対等なただの「味」で、どれが一番いい!とかない。

 

甘いものも、ずっと続くと苦しくなる。

 

 

 

それと同じでね、

 

苦しい、辛い、悲しい、寂しい、嬉しい、愛しい、もすべて

対等なただの「気持ち」なんだよね。

味と同じ。

 

嬉しいものも、愛しい気持ちも

ずっと続くと苦しくなる。

 

仏教では「愛しい」も「苦」と言われるけれど必ず「別れの辛さ」があるからね。

 

 

朝が来て夜が来て、また朝が来るように、

生まれて死んで、また生まれていくように、

種が実になり、また種になるように、

 

 

波のように

苦しい、辛い、悲しい、寂しい、嬉しい、愛しい、

が、淡々と繰り返される。



ただ感じたままに、受け入れて消えていく。


 

それが「自然」ってこと。

それが「幸せ」ってこと。

 

だから、特定の一つの気持ちだけに執着して「苦しむ」ことこそが「不自然」で「的外れ」で「宇宙への冒涜」で「時間やエネルギーの無駄」なんだよね。

どれか一つがいい!とする「勝ち負けの世界」は不自然なんだよね。

 

 

私が伝えているのはそれを受け入れようということ。

丸っと「どうであってもいい」。

 

どんな気持ちであっても対等に「自然」で「幸せ」なのだ、

という上で「好み」の人生を選んでいくということ。

 

「好み」の世界で、その「波」をやろうよ♡ということ。

好みの世界で、その「苦しい、辛い、悲しい、寂しい、嬉しい、愛しい、」をやろうよ♡ということ。

 

 

 

 

土曜日からインドでアーユルヴェーダリトリートなのですが♡

アーユルヴェーダでは、毎食6種類の「味(ラサ)」を食べることが望ましいとされています♡

 

甘味 - madhu(マドゥー)

酸味 - amla(アムラ)

塩味 - lavana(ラヴァナ)

辛味 - katu(カトゥ)

苦味 - tikta(テクタ)

渋味 - kashaya(ケシャイ)

 

食事も楽しみだなぁ〜♡禁酒1週間♡

 

 

お釈迦様はね、この味覚の最後に「醍醐味」という悟りの味があると伝えているよ。

 

 

私はこれはね、「担々麺」の記事で書いたように、笑

 

「美味しく食べる♡」という目的を忘れず「辛味」や「苦味」を楽しむことだと思っているよ。

 

美味しい人生♡とは

いろんな味があるから、楽しいんだ。

それが人生の「醍醐味」だと思うんだ。

 

 

それは「嫌な気持ちも幸せなんだから我慢しろ」「そう捉えろ」ってことじゃなくて

 

 

嫌な気持ちも感謝できるほど、好みの人生を求めて行こうよ!ってことなんです。



 

「どんな気持ちも幸せ」な上で、「設定」に気づき、機会的にどんどん好みに変えていくの♡

「思い込む」必要なんてない。感情を先取りする必要なんてない。

 

だってすでに「どうであってもいい」「どうであっても幸せ」なのだから。

 

 

幸せになるためにやるものじゃないから。

↓↓

 

 

 

自然に生きよう♡

不自然は滞る。

 

本当はみんな知ってる。

大自然そのものが喜びであり祝福であること。自然の一部の私たちそのものがすでに喜びであり祝福であること♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然の波を受け入れるには

体の波を受け入れることが絶対的に大事なんです。

だから布ナプキンは最高の人生を開いていくよ♡

全ての女性の可能性が開きますように!

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