{3D7E1664-806C-4781-8887-6881127F6691}
いよいよ明後日からはエジプトリトリート
 
 
 
 
 
 

私の思い出に値段なんてつけないで!!

 

全部大切な物なのに!!

 

 

 

 

あーあ。

 

なんで大切な思い出をくれた物達に、ありがとうって伝えてさよなら出来なかったのかな。

 

捨てる事で生じる罪悪感から逃げ、あわよくばお金にしようとがめつさを全開にしたのかな。

 

お金に重苦しい想いを乗せて、こんなお金いらないとか言って、本当何やってるのかな。

 

断捨離って、こういう事私はやりたかったの?

 

 

 

 

 

 

 

さきこさんのブログを探して読み直してみた。

さきこさんはこう書いてた。

 

{148B1820-3130-46AC-BCCC-D3AC98EE48A0}

 

私は一番肝心な所を理解しないまま、形だけの断捨離をしてた。

 

 

なんでこれ買ったんだっけ…

本当適当に買ってるな…

どうして取っておいたんだろう…

 

そう思いながら、ゴミ袋に服を放り込んでいた。

そこで終わりにしてた。

 

でもそうじゃない。

ちゃんと書いてくれてる。

 

 

 

 

無駄遣いした自分と向き合いながら

事実を見て、感情を見て、決着をつける

ちゃんと向き合えば経験という財産になるんです

 

 

 

これを読んで、私の現実が変わらない訳に気付いた。

 

物1つ捨てるにしても、これだけ向き合って、エネルギーをかけて、そして教訓にする。

学んだ事を次に活かしていく。

 

こういう事をひたすら積み重ねてる。

 

これだけの事をやっていて、現実が変わらない訳がないと思った。

私が憧れたり羨んできた人達は、きっとみんなこういう小さな積み重ねを丁寧に丁寧にやっている人達なんだと思った。

 

それなのに、表面の部分だけを見て真似て嫉妬して、悔しい悔しいって騒いで、本当何やっていたのかな。

 
 
(全文はこちら)

 
 
ラインラインラインラインライン
 
 
 
ここまで自分を見つめて、感じることができたら
捨てたもの以上に入ってきますねハートハート
 
 
 
{100FE6DA-2E1B-4336-B4F4-9947C432F802}
エジプトリトリート準備、完了ー
上の子組みを連れて行くので大荷物!(笑)
 
 
 
 
 
さきこ流断捨離
「不用品は絶対に売らないこと」はこちら
 
 
 
 
 
 
 
2年前に書いた記事だけど、色々経験して、思ったこと。
 
これね、「人にあげる」もある意味、含みます。
人にあげる、も、ダメだわ。
すんごい誤魔化しになるからね。
 
 
※ここで私が伝えたいことは、
「断捨離を通した執着の手放し」についてであり、
「物をどう活かすか」という「節約」とか「お得」とか「生活術」の話ではありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
物を通して捨てるのは
【執着(うんこピンクうんこ(改)に気づかずにいた上っ面の自分】
であり、
 
物さえ捨てればいい!
 
っていう上っ面の捨て方は同じこと繰り返します。
 
 
 
 
 
先日のこちらの記事で書いたように
 
 

 

 

 

 
 
上っ面だけ捨てても、
 

自分が何を握りしめてるのか?に向き合わない限り

永遠に劣等感ベースの

「手に入れるー捨てる」の両極に永遠に振れるだけであり

そのループから「抜ける」ことにはならないんだよね。

 

 

 

 

一時期

「一緒に革命しましょう!革命しましょう!」

 

って言ってくる人がいたんだけど

「私は革命という言葉が好きじゃない」と伝えてたんだよね。

 

 

「革命したい気持ち」は永遠に

「必ず対象になるものがないと困る」設定になりますよ。

平和になったら革命できないってことになりますよ。

 

 

と。

 

 

革命を掲げると、反対側を常に探し続けます。

「革命したい気持ち」を疑い抜けることが

一番の革命です。

 

 

それが対等の世界と勝ち負けの世界です。

 

 

 

 

 

女の自由!

女の喜び!を掲げて

 

 

「母」という職業じゃなくて「女」であるべき!

「母乳」より「ミルク」!

「授乳してるとオスになる!」

「教育とはこうじゃなくてこうだ!」

 

 

というのは、単に

 
両極に、極端に、
振れただけであって、
 
本当に見るべきところを見てない。
 
 
 
上っ面だけを捨てて
手放した気になっても
 
ずっとずっと握りしめている。
 
 
子供への執着を。
 
 
 
 
それ、どっちも同じこと。
同じ子供への執着が両側に振れてるだけ。
 
 
 
母とは子供のために生きるべき!
子供のためじゃなく、自分のために自由に女であるべき!
 
どっちも同じなんだよ。
両極で「立派な母であり女でありたい」という気持ちを
握りしめているんだよ。
 
 
 
見るんだよ、
子供に執着してる自分を。
子供に執着したい自分を。
 
 
なぜ、子どもに執着してはいけないと思ってるのか?
なぜ、手放さないといけないと思ってるのか?
 
 
 
そして、子供に執着したい、と認めるんだよ。
それが受け入れる、だよ。
それが「女」であり「母」なんだよ。
 
 
逆も然り。
 
 
反対側をどんなに捨てても捨てても手放せない、両極を丸ごと持つのが女だよ。
 
 
だから上の記事で書いたように
自分と育めればパートナーとも育める。
 
父と母でありながら、男と女でいれるハート
矛盾する「どっちも!」が叶うハートハートハート
 
 
 
なぜその無限の可能性を排除するの?
それこそが女性性否定。
 
 
 
 
 
 
断捨離を通して見えることの1番の気持ちは
「勿体無い気持ち」
 
 
これは、
「持っておきたい気持ち」
でもあると思います。
 
 
 
ただただ「断捨離!断捨離!」と捨ててくりかえす人は
 
なぜそんなに「捨てなければ!」と思っているのか?
何がそんなに不安なのか?
なぜそんなに開運して何かを呼びこまなければならないのか?
 
 
そこを見るんですよ。
 
 
そこに設定があるから。
大体は、自分の直視をごまかしているけどね。
 
 
 
本当は捨てたくない、持っていたい、勿体無い。
 
誰かに使った気持ち、エネルギー、お金、時間
自分に使った気持ち、エネルギー、お金、時間
無駄になったかもしれない気持ち、エネルギー、お金、時間
 
 
それを売ったり誰かにあげて誤魔化さないでちゃんと感じる。
「感じる」をキャッチするからこそ、次につながる。
気づきになる。
 
ただただスッキリさせるためにするのが断捨離ではないよ。
モヤモヤと矛盾を飲み込み、次に繋げるのが断捨離だよ。
 
 
思い出や、過去の自分の未熟さや
今現在抱えている執着をそのままに明らかに見て、進んでいくのが大事です。
 
 
解決させない、すっきりさせない。
 
「持っていたい気持ち」を誤魔化して排除せず、
物を通して、「この物の先に、どんな気持ちが欲しかったのか?」を見るんです。
 
その先の気持ちを大事にしながらも、上っ面で増えてった「ゴミ」たちは
捨てていくの。
 
 
伝わります?
捨てるのはただのゴミじゃないの!
気持ちに気づいて、「気づかずにいた上っ面の自分」を手放していくんだよ。
 
逆だよ。逆をやってる人が多いよ。
 
 
「上っ面の断捨離」だけやってスッキリした気になって
「気持ち」までたどり着かずに終わってる。
 
 
 
だから結局また増える。
 
執着してる自分を捨てた気になって
 
反対側で執着している。
永遠に両極に振れる。
 
 
そして反対側に向かって革命する。
 
 
 
 
 
そんな方にオススメ本!
「断捨離」提唱者やましたひでこさんの本ハート
 
 

 

 

【執着を手放さなければ!】

 

【執着を手放したような気になっている上っ面の自分】

 

への執着こそ手放す。

 

つまり、執着したいと認める。開き直るんじゃなくてね!自分だけで、抱きしめる。

その上で、どう在りたいか?に繋げていく。

 

 

反対側を革命する必要はない。

全て、飲み込める。

 

 

女の器が拡がり、

ますます優しさと愛が放たれます