今日は手放しの満月ですよ〜〜ハートハート
 
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なんだか嫌だから

 

なんだかもやもやするから

 

なんか違うから

 

『手放します!!!』

 

それは本当に

 

《手放し》なのでしょうか?

 

ただ、グレーなままで

置いておくことができなくて

耐えられなくなって

 

離した

 

のではないですか?

 

 

グレーなままで置いてくって

とてもエネルギーを使いますから

 

持っているが

 

 

苦しく感じます。

 

そんな時は離してしまった方が

 

楽です。

 

 

もとに戻ればいいので。

 

恒常性(ホメオスタシス)という

 

もとに戻ろうとする機能に

 

任せられるから

 

楽なんです。

 

 

けれどそれは決して

 

《手放し》ではない

 

と私は感じています。

 

 

持っていられないから

この得体の知れない感覚が

感情が怖いから

 

離したく

 

なるんだと思います。

 

 

 

ーーー
 

 

 

 
 
 
 
 
本当の手放しって
「どちらかしかない!」と思ってる自分を手放すのだよ。
 
 

つまり「育児に持ってる設定」を手放すのであり

上っ面の「育児」そのものを「悪」にするのであれば

女性性否定。

女という性への八つ当たり。

  

 

 
女がねそれやっちゃうと苦しいよ。
だって常にどっちもあるのが女なの。
 
 
それだと上っ面のダミーの問題を
手放しても手放しても
縛るものが出てくるよ。
 
 
これに似ている。繰り返し。
 
 
 
今、「二極化の時代」と言われているけれど
 
勝ち負けの世界か
対等の世界か。
 
 
 
勝ち負けの世界っていつもいつも
「どっちか」なんだよね。
 
 
対等の世界って、一切合切全てを同居させられる。
だから、対等の世界って結局勝ち負け世界も包容するんだよね。対立しない。
 
 
 
 
 
 
 
相対立する二つの何かがあると
どちらかを正しいとし、
どちらかを否定して排除する。
そしてどちらかにする。
 
それは勝ち負けの世界の「排除」。
いつまでも小さい器のまま。
 
 
 
対等の世界では
どちらかにするというよりも、
片方を包容して対立するものを
両立させ同居させていく。
 
 
もちろんモヤモヤすっきりしない。
けどそのグレーこそ大事にして
自分に気づき、その自分を手放していく。
本当の願いを受け入れていく。
 
 
だから矛盾する
「どっちもハート」が叶うの!!
 
 
女性はね、
「大自然」の一部として
 
生理・妊娠・出産・授乳
 
という「母性」があるの。
(※母性とは子供を愛する気持ちとか、かわいがる気持ち、感情、ではなく自然の体の営みのことです)
 
 
それは、「ナチュラル」で「自然」なことなの。
 
 
 
だから、女の世界にこれ(2極の世界)を持ち出すと
本当に女が枯れるよ。
 
育児を手放せ!とか
母乳を手放せ!とか
糾弾する人。
 
実際に枯れすぎ。
 
 
 
伝えるならば、「育児や母乳を「悪」にして楽になった」自分を明らかに見て、そこで終わらず、なぜ悪者にして手放してスッキリさせると楽だったのか?
という心の葛藤や動きを女性たちに伝えて欲しいと思う。
 
 
そして、その奥にある「本当の願い」にまで気づき、それを自分で汲んでいるならばもう何かを「悪」にしなくても女性の幸せは伝えられると思うんだ。
 
どっちでもいいんだよ
どっちでも差し支えないんだよ、というハッピーを。
 
 
 
 
母親か女か
子供か仕事か
母乳かミルクか
 
 
 
どっちかしかない!っていうのは、そもそも女の体に「不自然」なんだよ。
 
女は、ちゃんとどっちも叶うの。それが女というものなの。
 
 
 
ちゃんと自分の中の
パートナーシップが育まれれば、
ますますどっちも叶っていくよ。
 
パートナーも、そうなっていくんだよ。
父でありながら、たくましいセクシーな男であれるんだよ。
どんどんかっこいい父と男になっていくよ。
 
 
でもきっと、女次第。
 
 
 
 
母でありながら女でもあれる
子育てしながら自由でもあれる。
ゴロゴロしながらザクザク稼げる。
 
父と母でありながら
男と女であれる。
 
 
 
そう育んでいく。
それが本当のパートナーシップ。
 
 
 
 
 
男と女でありたいから子育てを手放す?
自由でありたいから母親を手放す?
仕事で成功したいから恋愛を手放す?
 
 
 
その設定を疑うんだよ。
 
グレーで置いとけない、
そのモヤモヤする中にある「本当の気持ち」を自分で見出していくんだよ。
 
 
なぜそう思う?
なぜ何かを「悪」にしないと
手放せない?
 
 
なぜ、どちらかを糾弾しなくてはならない?
 
 
どっちでもいいなら?
本当はどっちも叶うなら?
 
 
 
 
本当の本当は、
大好きな人と一緒に子育てもしながら
男と女でありたくない?
 
 
父と母でありながら
男と女でずっといたくない?
 
 
超絶楽チンな子育てしたっていいし
子供預けて飛び回る母だっていい。
母でありながら女であったっていい。
 
 
そうやって全てを包括して生きていきたくない?
 
 
 
勝ち負けの世界では
上っ面の「不自由さ」を捨てまくって
上っ面の「自由さ」を手に入れて
上っ面の「不自由さ」を「悪」にして
 
その繰り返しを
永遠にし続ける。
 
 
仮想敵がないと
自分でいられない。
 
ずっと何かを「悪」にしないと
選べない!
 
 
それ、「女という性」への八つ当たりだよ、最高の。
 
 
 
 
 
責任を持って「どっちでもいいけどこっちを選んだ」と言えないのは
モヤモヤグレーな気持ちに耐えられずさっさと罪悪感や抱えてるものをスッキリさせたくて勘違いの手放しで勘違い排除してきたから。
 
この記事でも書いたけど
 
 
 
私は、
単に好みで選んでるんです。
 
お掃除を外部の人に頼んでるのも
学校行事に行かないのも
参観日に行かないのも
母乳はいつも3ヶ月でミルクにするのも
好きに自由に子供を預けて仕事に行くのも
 
別に「育児を手放した」なんて思ってないし
手放したいとも思わない。
 
 
 
ただ、その都度その都度
私の好みにおいて選んでいます。
 
 
「女でいられなくなるから!」と、あたかもご自愛のふりして「育児」のせいにするのではなく
「オスになるから!」と、あたかもご自愛のふりして「母親という役割」のせいにするのでもなく
 
 
 
ただ、自分がそうしたいから。
それだけでいい。
理由はいらない。
 
女が「女という性」に八つ当たりするの、
もうやめようよ。
 
知らずに女性性否定するのやめようよ。
 
ちゃんと、見ようよ。
 
 
 
 
もちろん「そうでなければ」と思い込んでいる人にとっては表面上のものを「悪」にして手放すとその時は一時的に楽になるだと思うんだけど。でもそのままの設定だった意味ないよ。(これはいい例があるので別記事にします)
 
言いたいことはわかるんだけど
そこ、超えてみよう!と思うんだよね。
 
 
 
本当の願いを、何を悪にするのでもなく
ただ素直に見ていけるのが対等の世界でだけ出来る、設定変更だよハート
 
 
 
 
私の「女」、子供次第
私の「自由」、子供次第
私の「人生」、子供次第
 
になってることを直視して、これを手放すんだよ。
「子供」や「育児」や「母親の役割」という上っ面の肩書きを手放すんじゃなくてね!
それ、ただの八つ当たりハート
「子供のせいにしないで自由になるべき!」とか言いながら上っ面だけ排除するなら結局何かのせいにしている。
 
 
低脳ゴッド。
低脳男性性。
 
 
 もっと育んで行こうよ