私たちが目を向けるべきなのは... | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

ナルニア国物語などで有名なC.S.ルイスは、

 

「神は、私たちが楽しいときにはささやきかけ、良心には語りかけられます。しかし苦しみにおいては、叫んでおられます。苦痛は、耳を塞いだ世界を呼びさまそうとする神のメガホンです」

と記しています。

 

苦しみは往々にして、己の焦点を見直させます。目下の状況から思いを転じ、神に耳を傾け、

 

「私の人生にどんな御業をなさっているのですか」

と問いかけます。

平穏な日常生活が、霊の学び舎に変わります。

 

詩篇の作者は、苦境にあっても謙遜に学ぶ心を失いませんでした。苦難を神からのものと受け止め、服従して「あなたが真実をもって私を悩まされたと知っています」と祈りました。預言者イザヤは、苦しみを鍛錬のプロセスと捉え、「見よ。わたしはあなたを練った…わたしは悩みの炉であなたを試みた」と預言しました(イザヤ48:10)。ヨブは嘆きながらも、自分の苦悩を通して、神の主権と偉大さを学びました(ヨブ40-42章)。

 

苦しむとき、私たちはひとりではありません。人となられた神が、大いに苦しまれました。「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残され」たのです(Ⅰペテロ2:21)

 

手に釘を刺されたお方はそばにおられます。苦しみの時、慰め諭してくださいます。主よ、人生にはとても大変な時があります。この試練に、どんな目的があるのか分からないこともあります。主よ、助けてください。あなたを信頼できますように。教えてください。あなたのみこころにかなう者になっていけますように。

 

試練という学び舎で、私たちは神への信頼を学ぶ。

 

主よ。私は、あなたのさばきの正しいことと、あなたが真実をもって私を悩まされたこととを知っています。(詩篇119:75)

 

ーデイリーブレッドよりー

 

試練は、決して一人でがんばてれ、というものではありません。

むしろその時も神様はともに脱出へ向けて、ゴールに向けてあなたをみちびかれます。

神様はあなたを知っています。だからあなたに最善をなし得るのです。

だからこそ私達はこの神様をいつも求め続けようではありませんか。