悲しみが長く留まることはないよ | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

雲と霧と雨のものさびしい12月

至る所でつぶやきがある

木は裸となり花は散り、鳥はすべての歌をやめ

日は短くて太陽は照らず、夜は長い。

しかし、忍耐をもって待とう。

ときは流れやすく

悲しみも、長くとどまることはない。

涙を流す日があるにしても・・・。

神とその国は、変わることはない。

暗黒の夜のあとには、太陽が再び輝くのだ。

 

パウロ(1世紀の伝道者)は、弱さを喜ばず、自分の生涯を曇らせる弱さを克服しようと努力したと言っています。しかし、彼は神が恵みを与えてくださることがわかったとき、弱さからの解放よりも恵みに満たしてくださる方を、より愛し始めたのです。パウロは冬の寒い風は、春や夏の陽気な暖かさと同じように、世界の進展のために必要であり、また雪は草や花と同じように、土にとっては必要なのだということを理解したのです。自分の弱さ、困窮、迫害、苦悩によって、神の力が完全に現れることを学ぶとき、人は徐々にそれらのものを、自分に仕えるために天から遣わされた天使として歓迎し始めるようになるのです。

 

日中は誰でも歌うことができます。でも、心が主の恵みの御手によって整えられている者だけが、闇夜でも歌うことができます。地上の物も、繁栄の間は満足を与えるかも知れません。でも神の平安だけが、逆境の暗黒の中で喜びを与えます。神は悲しみの中で喜びを与えられます。悲しむ者が涙を流して歌うとき、主は新しい、より静かな確信を携えて、その人に現れなさいます。その結果、その人は賛美によってもっと喜びを与えられます。

 

ー「荒野の泉Ⅱ」カウマン夫人著ー

 

どんなにみすぼらしく辛い時があっても、神様はすべてを備えて下さる。

この世の悲しみに覆われるのではなく、神様の霊に満たされ、喜び溢れるものへと変えられる。

私たちは諦める必要はまったくない。神様がおられる。