3日坊主の私が8年…いつまでも続くのは… | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私は3日坊主で有名。

日記さえろくに続かずすぐに飽きる…手帳なんかも最初はまじめに書いてても

気が付いたらやめてしまう…

 

ただ神様との関係だけは三日坊主ではないな。

神様が私を捨てないで、今日までこれたわけですし。

 

そんな中で、東京から北海道に牧師を休職して移ってくる際に、

ある兄弟から、聖書の分かち合いだけは続けてほしい、なんだったらUstreamで毎日配信してほしい、と言われていたのです。

まあ、落ち着いたら、と思い、ある日息子にみことばを残したい、と願い、

こうしてみことばの分かち合いを2017年6月8日から毎日始め、今に至るわけですが(;^_^A

北海道のブラックアウトで物理的にPCが使えず分かち合えなかった、2018年9月6日以外は一応毎日していたのかな。

 

3日坊主の私を今日まで支えてくださり、今日もこれからも支えてくださる神様にこれからも期待です。↓はその一番最初に分かち合ったものです。よければ読んでください(1分くらいで読めます)。
 

 

「メフィボシェテは王の息子たちのひとりのように、王の食卓で食事をすることになった。」
Ⅱサムエル記9章11節

前王のサウル…さんざんダビデを殺そうと追い回していた。そんな王は先の戦いで敗れ死んでいった。しかし、ダビデは友ヨナタンとの約束ゆえに彼の一族を守る…そしてダビデはサウルの一族であるにもかかわらず、またこのメフィボシェテは足がなえていて、周りからも見放されたものとなっていた。しかしダビデは彼を憐れみ、その王の食卓に招き、王の息子の一人のように迎え入れた…いや、当時のことを言うなら前王の一族は殺されても仕方ない、しかし受け入れられた。

 

この憐れみ深さには感服しますが、しかし王の王なるイエス様は、本来その食卓にあずかある資格のない王に敵対する一族、神さまから離れていたものにさえ憐れみをかけてくださった。王宮にふさわしくないとメフィボシェテは言われたかもしれない、しかしそのようなものにさえ憐れみをかけ、ヨナタンとの近いどころではない、イエス様の命ゆえに私たちをその食卓に招かれる。

 

ダビデはメフィボシェテに「私の食卓で、いつも食事をすることになる」と誓ったように、私たちにも霊的な食事をいつも与えてくださる。その食卓に私たちはとどまり続ける必要があるのではないでしょうか。