呼吸をして、かく生きよう | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

“平安”を吸い込んで、“ストレス”を吐き出しなさい。

“信仰”を吸い込んで、“心配”を吐き出しなさい。

”勇気”を吸い込んで、“恐れ”を吐き出しなさい。

“静穏”を吸い込んで、“混乱”を吐き出しなさい。

“愛”を吸い込んで、“感謝”を振りまきなさい。

 

いいですね、この言葉。“呼吸”――息を吸い、息を吐いて、人は命をつなぐ。もう少し医学的に言えば、新鮮で命の源である酸素を吸い込み、汚れて不要になった二酸化炭素を吐き出して、人は生きます。この事実に目を留め、それをこのように霊的に捉えて、信仰生活の真のありようを対照的に分かりやすく言い表す、このセンス、好きです。

 

これら5つを別の言葉でまとめれば、“ポジティブ”を取り入れ、“ネガティブ”を吐き出すということになりますが、最後の5つ目だけが違います。愛をいっぱいに吸い込んだら、そこから溢れるのは感謝ですものね。(表現もここだけ変えました。)

 

またこのタイトルは、創世記2章7節の人間の創造を思い起こさせます。

「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」

 

恐らくこの記事の作者も、それを思い描いていたのではないかと思います。なんとなれば、このタイトルの原文の直訳は、「息をし、生きる者となれ」だからです。

最初に命を持った人間は、神様ご自身の息を吹き込まれて、自らも「息をする者」となり、「生きる者、存在する者、命をつなぐ者」となったのです。

 

かくして私たちもまた、創造主なる神の中に、「生き、動き、生存する者」(使徒の働き17:28)となりました。まさしく私たちは、ご自身の息(聖霊)によって生きておられる主に在って、生かされている者なのですね(ヨハネ14:19)。

 

ー小川政弘(元・ワーナー・ブラザース映画会社の製作室長)ー

 

私たちは関係の中で生きます。誰と?神様と。神様が私たちにすべてを備え、生かされるから。

神様からいつも純粋な御言葉の乳をしたい求めつつ、いつも養われ、生かされ、歩みたいですねm(_ _)m