家族と両目の視力を失ったある女性 | 子育て休職中牧師の聖書のおはなし

子育て休職中牧師の聖書のおはなし

東京で牧師をしておりましたが、子育てのため一時的に北海道に移住しました。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られた神様からのラブレター・聖書から少しずつ分かち合わせていただきますね(*^_^*)

私たちが生きている限り、良いと感じる事もあれば、悪いと感じる事もあります。

悪いと感じる事が現実にあるのは事実なのですが、

一つ忘れないでほしいのは、あなたがどんな状況にあっても、神様があなたを覆ってくださる、愛して、導いて下さる、最善へと変えて下さる事を忘れないでください。

神様は御子イエス様のいのちさえ惜しまず与えるほどにあなたを愛し、愛しぬかれた方なのですから。そこまで愛された神様が愛を貫かれ、あなたを導くから。

 

そんなことを思い起こさせられた一人の女性の話を紹介します。

砂山節子という方、この方は戦前、夫の砂山貞夫という牧師と結婚し満州に赴いて福音宣教に従事していましたが、中国の八路軍に連れ去られ帰らぬ人となりました。

 

それでも節子さんは中国に残って夫の帰りを待ちました。そして極貧の過酷な生活を余儀なくされ、病気や栄養失調で子供2人を失い、母一人で子供3人を育てます。

そして、ついに自身も栄養失調で失明するのでした。

 

病院の廊下で 暗澹たる思いの中にあった彼女は、心の中に讃美歌が響いてくるのでした。「数えてみよ、主の恵み。一つずつ数えてみよ。」(新聖歌172番)という。

 

失明しても、まだ歩ける、 まだ聞える、まだ話せる。恵みを一つずつ数えているうちに「いつも喜んでいなさい」との神様の言葉が聞えたそうです。

 

そして終戦8年後、日本に帰国し盲学校へ、盲人のための伝道に尽くすのでした。

 

イエス様のいのちにあって与えられたこの命、そこに神様はいかほどの恵みを注がれているか。私たちは「数えてみよ、主の恵み。一つずつ数えてみよ」う。両指でもおさまらないほどの神様の恵みが、「毎日」いや一瞬一瞬注がれている、私たちは今日も神様の恵みを祈り求め、歩もうではありませんか。