最後までエスコートされる方がいる(ある絵本作家) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

憐れみは、死刑囚となるほどの強盗を、その十字架上で赦した。

恵みは、何と許しただけではなく、彼を天国まで「エスコート」した。

ーマックス・ルケード(牧師・兼、絵本・作家)ー

 

今から約2000年ほど前、起こったことを↑で彼は解説しているのですが、イエスキリスト様は、その強盗たちに、何の罪もない、神の御子であられるのに、私たちの罪を身代りに背負われ十字架にかかられました。その時、強盗たちにののしられていました。神の御子なら十字架から降りてみろ、と。

 

でも憐れみを求めた一人の死刑囚になるほどの強盗を、赦されたのです。

それだけじゃなく、「せめてわたしのこと、あなたが天国に行ったら思い出してください」と願われたイエス様は、そんな人がいたなー、と思い出す程度ではなく、むしろ彼と一緒に天国までエスコートしたのです。

 

神様は、私たちの苦難の横にまず第1に一緒にいてくださって、その重荷を一緒に背負ってくださります。でもそこから解放し、天国まで、一緒に歩んでくださる。天国に行ってからじゃない、ここから始まるのです。イエス様、わたしを覚えてください、と願うなら。私たちに驚くべき何かをこの苦難を「一緒に」突き抜けた先に、その栄光を、何かを見せてくださります。

 

イエス様が「エスコートしてくださる」、命をあなたのためにかけたイエス様が。この意味を覚え、イエス様と一緒に歩もうではありませんか。あなたは一人じゃない、今日もイエス様が命までかけてくださったイエス様が一緒であることを覚えて。