あなたのために残されていた傷跡 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

今日は復活節です。

イエス様がよみがえられたことをお祝いする日です。

 

しかし驚くべきことにイエス様は完璧なきれいな体ではなく、十字架でついた釘の穴、脇腹の傷を残されていました。なぜか…

 

著述家、フィリップ・ヤンシー氏はこのように記します。

 

私はイースターの物語にある一つの細かい点に、以前から好奇心をそそられていました。なぜイエスは十字架刑の時の傷跡を残しておかれたのかということです。おそらくイエスはご自身の望まれるようないかなる体でも復活の時に持てたはずです。それなのに、目に見えるし触れることもできる傷跡によって判別される体を選ばれたのです。それはなぜでしょう。
 

イースターの物語は、イエスの手と足と脇についた傷跡なしには完結しないと、私は思っています。人は想像力を働かせる時、白く輝いた並びのいい歯や、しわのない肌、魅力的かつ理想的な体型を夢見ます。不自然な状態、つまり完璧な体を夢見るものです。けれどもイエスにとっては、骨格と人間の皮膚に閉じ込められていること自体が不自然な状態でした。そして傷跡は、私たちのこの惑星で生きたことのしるしであり、肉体に閉じ込められ、苦しんだ日々を永遠に記念するものなのです。
 

私はイエスの傷跡を望みとします。天国の側からすれば、その傷跡は宇宙史上、最も恐るべき出来事を表しています。けれどもそのような出来事にも関わらず、イースターは喜ばしい記憶に変わったのです。
 

イースターゆえに、私は、私たちが流した涙、受けた打撃、心の痛み、友や愛する人を失うことの悲しみのすべてが、イエスの傷跡と同じように、痛みというよりも記憶として残ると望めるのです。
 

傷跡はすっかり消えはしませんが、もう痛むこともありません。私たちは新たに造られた体を持ち、天と地も新たに創造されます。そして、新たなスタート、イースターのスタートを迎えるのです。

 

まだまだ私達の歩みには苦難はあるでしょう。イエス様もおっしゃられていました。

でも、イエス様が一緒にその重荷を背負われるのです。

一緒に歩みましょう。

あなたの傷はもう痛むことはない。イエス様がそれを別な喜びに変えられるから。