その仕事は誰の仕事? | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

紀元1世紀では、足を洗うことは雇い人の仕事で、それもいちばん下っ端の役目と決まっていました。どの社会にも序列があって、家庭の召使いの社会も例外ではありませんでした。階層制のハシゴの最下段にいる召使いが、手ぬぐいとたらいを用意してひざまずくことになっていました。

 

だがそのとき、手ぬぐいとたらいを持ってひざをついているのは世界の王でした。星を造ったその手が弟子たちの足の汚れを洗い落とし、山々を形作ったその指が、弟子たちの足の指を優しくさすっておられたのです。すべての国の民がいつの日かひざまずいて伏し拝むお方が、今、弟子たちの前にひざをついておられたのです。

 

ご自身の死を数時間後にひかえて、イエス様の心を占めていることはただひとつ。どんなに彼らを愛しているかを、弟子たちに知ってほしい…。イエス様はそう願って、弟子たちの足の汚れをぬぐう以上に、彼らの心の疑いをぬぐい去ろうとしておられたのです。

 

「また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。すると、イエスは彼らに言われた。『異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。」 

ルカによる福音書22章24−27節

 

ーみことばの宝石ー

 

*イエス様はこの最後の晩餐の時、裏切られることも知っていました。イスカリオテのユダにだけではなく、ペテロにまで。それでもなお、イエス様は彼らのためにいのちをとされたのです。そこまでされたイエス様の愛はいかほどでしょう。神様の愛に満ちたあなたへの大いなる計画に私達は信頼したいものです。