NASAで働くある科学者の話 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

NASAで働くある科学者のキム・ヨンギル氏は奥さんの勧めで聖書を読み始めます。

 

彼は神様についてもっと知りたいというチャレンジを受け、ヨハネの福音書から読み始めるのですが、早くも2章のところで躓きます。

カナの婚礼で、イエス様が水をぶどう酒に変えたという奇跡です。水を運んでいる間に化学方程式がH2OからC2H5OHに一瞬にして変わるのです。科学を信奉していた彼にとって、到底受け入れることのできない出来事でした。元素を変化させる核融合反応は常温では起こりえないからです。

 

奥さんは小さい頃からクリスチャンの家庭で育てられた敬虔なクリスチャンですが、その奥さんに、こんなナンセンスなことがあるのかと質問すると、奥さんの答えはいつも簡単です。「そうやって問い正さないで聖書の言葉をただ信じるのよ。そんな疑って問い詰めてばかりいたら神様も気分を害されるでしょ。だから、ただ信じなさい。」ですから、疑問はたくさんありましたが、その疑問を脇に置いておいて、最後まで読んでみようと決心し、読み続けると、今度は6章です。

 

ガリラヤのテベリヤ湖の向こう岸の山に登られたイエス様は、ついてきた群衆が牧者のいない羊のようなのをみてあわれまれた。夕暮れ時だったので、イエス様は弟子たちに、彼らに夕食を食べさせるようにと命じられました。そんなの無理です。こんなへんぴな所で、店もないし、あったとしても、これだけの人たちにどうやって食べさせろと言うんですか、と言うと、そこに少年が差し出した大麦のパン五つと小さい魚二匹をとり、感謝をささげて五千人あまりの人々に分け与えられました。彼らが十分に食べた後も多くのパンと魚が残ったと、聖書は記しています。

 

これは科学者にとって、水がぶどう酒に変わることよりももっと信じがたい出来事でした。なぜなら、エネルギーの総量が変化してしまい、科学の基本法則であるエネルギー保存の法則、つまり、熱力学第一の法則に反するからです。

 

それで彼は信じられなくなってしまうのです。そして、妻に、約束とおり教会には行くけど、聖書は到底信じられない、と言いました。

 

しかし、NASAの同僚のクリスチャンたちが彼のために断食をして祈ってくれたそうです。自分のために食事もしない人がいるなんて、こんな迷惑なことはないと思いながら、もう一度創世記から読み始めたのです。そして、そこに記されてあるイエス・キリストについての預言を確かめたのです。それは数百回以上記されてありました。

 

これには驚きました。というのは、科学の世界では常に人間の知識と理性を土台に組み立てられているので、たった1秒後に何が起こるかを確信して、預言することすらできないからです。なのに聖書は、旧約時代の約千年にわたって記された預言が新約の時代にことごとく成就しているのです。それは、聖書の御言葉が人間の知識や知恵ではなく、神に啓示によって記されたことを証明していました。

 

そうした聖書の黙想と科学的な知識の探求から、創造主は実在し、人の人生を治めておられるという結論に到達しました。そして、ハル・リンゼイという人が書いた「惑星地球の解放」という本を読んだとき、彼がこれまで抱いていた様々な疑問が解決して、これまで断片的に蓄えてきた聖書の知識が一気につながり始めました。まるであちこちに散らばっていたジクソーパズルのピースがあるべき位置に納まり、一つの絵が完成したかのようでした。

 

「神は、実に、そのひとり湖をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 

この御言葉の中に、神が私たちを救われた理由、代価、方法、そして結果のすべてが記されていることがわかりました。神が私たちを救われたのは、神の愛のゆえなのだということが・・・。私たちを救うために、神はひとの子であられるイエス様のいのちを私たちの人間の罪の負債の代価として支払われました。このことを信じるなら、私たちは永遠の滅びから救われ、永遠のいのちが与えられるということがわかったのです。これが福音であり、恵みなのです。彼は長い霊的漂流生活を終え、創造主であり、救い主であるイエス・キリストを救い主として受け入れたのです。

 

彼は根っからの科学者でした。

ただ彼はエントロピー、すなわち無秩序と崩壊、混乱の人生だったのです。しかし、シントロピー、調和と秩序ある人生に回復されました。イエス・キリストを信じることによってです。この天地を造られたお方こそ、この世界と私たちの人生にシントロピーをもたらすことができるという確信に、イエス様の十字架の愛にあって至らせてくださったことを知ったのです。

 

さて、あなたは神様の命がけの愛による調和、神様の恵みをどう受け取り生きるでしょう。