ある子供の素敵な作文:愛する事は | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

↓はある人の作文を抜粋したものです。

そのまま転用しているため、一部不快と思うところがあっても最後まで読んでいただければ幸いです。(あまりに強烈なので、途中に私の突っ込みを入れています)

 

ー無知の恐ろしさー

〇〇駅のホームで事故があった。人が溢れている。飛び込み自殺らしい。

「全く人迷惑な。この忙しいとき。死ぬんなら暇な時間帯を選べ。人の迷惑にならないところで死ぬんだ」

(私からの突っ込み:なんと偉そうな…)

 

みなブーブー言い、イライラさせられていた。

しばらく待つ間に「どうも二人らしい。男と女と二人らしい。」

という声が聞こえてきた。

「心中だ。不倫の清算か」

ばかなやつらだ。あほだ。

(私からの突っ込み:あなたはそんなに偉いのか…?)

 

そのうち、また声が入った。「女性が貧血でホーム下に落ちた。そばを歩いていた男が飛び降りて、女を助けようとしたが、自分がはねられ即死した。女も死んだようだ。」

知らなかったとはいえ、自らを恥じた。

初めから事情を知っていれば、我々の態度は正反対となったのに。

 

愛する事は理解する事。

 

T君の作文がクラスを変えた。

愛する事は、その人を理解する努力である。

 

自分の思う通りに行かず、理解できないとき、相手を否定するのではなくその人の思いを知ろうと努力してませんか。神様が理解できないときも、神様に祈り、聞いてみませんか。神様はあなたに語ってくださるから。