猫とネズミ・試練と脱出 | 子育て休職中牧師の聖書のおはなし

子育て休職中牧師の聖書のおはなし

東京で牧師をしておりましたが、子育てのため一時的に北海道に移住しました。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られた神様からのラブレター・聖書から少しずつ分かち合わせていただきますね(*^_^*)

試練は誰にでもありますが、私たちには希望があります。
何でそう言い切れるのか…
 
神の御子イエス様がサタンから誘惑を受けるという試練があったときでさえ、御使いがそばで支えるよう、神様は遣わしたし、すべての私たちが合う試練にイエス様も合われ、打ち勝たれたからです。
 
神様は、私たちの耐える限度を越えた試みにあわせられることはないので、すべての希望が失われたかに見えるちょうどそのとき、御手を伸べて私たちを解放してくださいます。なぜなら、試みにはそれに打ち勝つ力を、試練には逃れ道を、共に与えてくださるからです。そこで、私たちの悩みは、神様にとっては、私たちを喜びにひたらせる機会にすぎないのです。
 
ねずみが巣を作っている屋根裏部屋に寝かせられた幼い女の子は、恐ろしくてたまらず、「イエス様、どうぞねずみを追い払ってください」と、主にお願いしました。お祈りが終わるや否や、一匹の猫が扉の隙間から忍び込んで、たちまちねずみを部屋の外に追い出してしまいました。単なる偶然とおっしゃるのですか。とんでもない。
子供の祈りにこたえられるとき、神様に「偶然」はありません。神様は、猫も、ねずみも、王たちも、支配者たちをも、支配しておられるので、そのご命令にはみんな服従するのです。
 
あなたの生活に、もしねずみが巣を作っているのなら、神はまた適当な猫を送ってそれを追い払ってくださることでしょう。クリスチャンの身に起こることは、何事でも目的があってのことです。「すべてのこと」を働かせて益となるのです。「すべてのこと」がです。ねずみが私たちを悩ますのを、神様が時として許されるのは、神様の送りたもう「猫」を私たちが感謝することができるように、とのみこころなのです。女の子の屋根裏部屋には、ねずみの通る穴がありましたが、同時に扉があって、そこから猫が入りました。深い悲しみのあとに、時として大きな喜びがもたらされます。
 
1.ヤコブは石を枕として神を見た。 (創世記28:18)
2.モーセは砂漠にあって任務を与えられた。 (出エジプト記3:1~4)
3.ダビデは巨人に嘲笑させて勝利を得た。 (Ⅰサムエル17章)
4.ヨセフは落とし穴を通ってエジプトの宰相の位についた。(創世記37章)
5.パウロは、「とげ」のおかげで忍耐を知った。 (Ⅱコリント12:7)
6.ヨハネは、島流しの身で、パラダイスを見た。 (黙示録1:9)
7.ステパノは雨と降る石の下で、イエス様を見た。 (使徒7章)
8.イエス様は苦しみを通って、全きものとなられた。 (ヘブル2:10)
 
 M・R・デハーン