―あなたを忘れず、復興させる本物の神様がいるよ― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「『…ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。』天よ。喜び歌え。主がこれを成し遂げられたから。地のどん底よ。喜び叫べ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。林とそのすべての木も。主がヤコブを贖い、イスラエルのうちに、その栄光を現わされるからだ。あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。『わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。わたしは自慢する者らのしるしを破り、占い師を狂わせ、知恵ある者を退けて、その知識を愚かにする。わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、【人が住むようになる】と言い、ユダの町々に向かっては、【町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる】と言う。淵に向かっては、【干上がれ。わたしはおまえの川々をからす】と言う。わたしはクロスに向かっては、【わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる】と言う。エルサレムに向かっては、【再建される。神殿は、その基が据えられる】と言う。』」

イザヤ書44章21-28節

 

人が忘れられる、これほど悲しいことはありませんよね。私は兄弟とは離れて暮らしていますが、なんだかんだ言って声を掛け合い連絡をとれているのは感謝です。もともと兄弟仲はよい方ではありませんでしたが、母の死と、父が倒れたころから一つにならないとね、と仲たがいしていた3人がようやく一つになり始めました。もし、このままだったら兄たちは孤立するところだったかもしれない、それでも神様がある教会を通して、兄たちを覚え、支えてくださっている事、彼らが教会につながり続けている事、本当に感謝です。神様が、ご自身の内に招き、留めてくださっている、忘れずに、彼らに御手を伸ばし続けて下さっていること、本当に感謝です。神様は私たちをまだ捨ててはいない。終わりの時まであなたを今日も待っている、私たちはこの神様の愛にどう応答するでしょうか。神様はあなたを御子イエス様の命を持ってまでも取り戻そうと愛を実行されます。あなたはこの愛にどう応えますか?

 

さて、↑は古代イスラエルのバビロン捕囚期~捕囚後について神様がイザヤを通して預言された続きになりますが、神様はイスラエルを見捨てられず、捕囚中も守り、また救われる約束をこれまでされました。その根拠として、「あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。『恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルン』」仰られ、それゆえ回復のため、「わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう」仰られました。そして神様は生きていない、何もできない偽物の偶像ではなく、本物の神様として、高価で尊い、愛する存在としてあなたを見、その恵みを注ぎたい、とここまで語られてきました。

 

神様はなお、↑で続けて「ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ」語られます。神様はあなたがたは勝手に離れたのだから私は忘れる、と見捨てるのではなく、むしろ忘れない、私たちに覚えよ、と仰っていますが、むしろ神様が私たちを覚えてくださっているのです。もうこの言葉だけで語りつくせないものがありますが。

 

「イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたはわたし自身のしもべだ」神様は仰られますが以前に分かち合った時も見ましたが、一見しもべ、と言われると少し違和感がある神しれませんが、これは実はとんでもないすごい話なのです。ここで神様は最初にヤコブと仰られて、イスラエル民族が増え広がるそのもととなったヤコブという人の名前を先にあげていますが、それを考えてみますと、神様は彼らを特別、仕方ないから救った、というわけではないことがわかります。

 

ヤコブ、それは「押しのけるもの」という意味でしたね。彼は神様が選ばれた、それにもかかわらず神様を信頼せず、神様が成そうとしている計画を押しのけてまで自分の計画をなそうとしました。そして結果兄に命を狙われ逃亡生活を余儀なくされたわけですが、しかし、神様はそれでも彼を忘れず、彼が本来あるべき姿へと、神様の恵みを受けるものとしてその生涯の歩みにおいて様々な場面で関わられ、また時に語り継げながら、また知恵を与えながら導かれ、ついには神様(受肉前、人となってお生まれになる前のイエス様)と相撲し、神様の御前に遜ることを教わったのです。彼は見捨てられていなかった。そしてついに彼の名前はヤコブ・押しのけるもの、からイスラエル・神は争われる、もう少しいうなら神様の霊が、恵みが注がれる特別な民、人ということができるでしょう。そのように変えられたのです。

 

ヤコブがイスラエルへと変えられたように、今イスラエルの民は神様から離れていてもう見捨てられてもおかしくない中で、神様は忘れない、と宣言されているのです。でも、もう神様のものとされたのだから、しもべだ、言うことを聴け、とかそういうわけではないのです。それでは、神様の選ばれたものとして腑に落ちません。そもそも神様が戦われ、勝利させてくださる、その神様の名付けた意味からも離れてしまいます。

 

神様はヨエルという預言者を通して(ヨエル書の分かち合いの中で詳しく見ますが)「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ」約束されました。しもべ、と言いますが、まさに神様の特別なものとされたイスラエル、私たち、そのしもべというのは、ここにある通り神様の御力が、神様のご計画が、まさに神様のご意思にあって注がれる存在なのです。イエス様もしもべとなられ、わたしたちに仕えられた、そのイエス様を通して神様の愛が注がれる存在とされたのです。

 

それゆえに、神様はあなたを忘れない。神様は私たちを覚えておられるのです。この預言が語られている、イザヤももうじきマナセ王によって殺されようとしているさなか、そんな悪に走り、神様から徹底的に離れていたイスラエルの民、もう捨てられても仕方がない、忘れ去られ、暗闇の中で彼らは虐げられ、捨てられてもおかしくない中にあって神様は、彼らが諦めてその中に沈みゆくのではなく、むしろ救いの道を示し続けた、捕囚中にあっても、捕囚後にあっても神様はその道を開かれているのです。神様が覚えておられるからこそ、私たちは生きる、神様が覚えておられるからこそ、私たちは回復させていただけるのです。ここ何度も見てきましたが、神様があなたを造り上げる、建て上げてくださるのです。あなたのいのちを。あるべき姿へと。あなたのゆく道を整えてくださるのです。神様につながっている、天の御国への道を。

 

世があなたに開く悲しみの、広く見えて先が見えない道ではなく、狭く見えても確かにそこに神様がおられるその道はなんと豊かな事でしょう。イエス様も狭き門から入るようにおっしゃりました。神様がおられるところ、それは仮に世的に見て狭く、どうでもいい、何の意味がある?と思えるところでも、神様の恵みが、御心が、愛が溢れ広がっているのです。

 

彼らに、神様がまずその門を開かれ、「立ち返れ」と招かれている。あなたにも。神様は何でこんな好き勝手して、イザヤまで殺すような者たちを救わなければいけないんだ、と見捨てるのではなく、彼らを、あなたを救うことを選ばれたのです。イエス様を十字架にかけるような私たちをさえ。え?自分はイエス様を十字架にかけてなんかいない?いえ、あなたの罪を救うために、まずイエス様があなたの身代わりに十字架にかかられ、贖いとなられ、あなたを救う決断をされた、あなたが神様に立ち返ることができるように、まずその愛を、代価を支払われたのです。

 

イエス様の12弟子のひとりだったヨハネという人は晩年その手紙に「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」書き送りました。神様はその真実を現したい、でもその真実、愛から離れてしまったあなたを取り戻したい、そのために十字架にかかられたのです。私たちは自分を欺いて神様の恵みを失うのはもったいない。いまさら、なんてことはないのです。神様はあなたに帰れ、立ち帰れ、と待っておられるのです。

 

あなたを母の胎内にいる時から形づくられ、それでも離れていった私たちのために、今度は御子イエス様の命を持ってまであなたを取り戻され、回復され、もう一度あるべき神様のイメージされている最高の姿に回復される、日々形づくられる、イエス様の似姿に作り替えてくださる神様が今日、「わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。わたしは自慢する者らのしるしを破り、占い師を狂わせ、知恵ある者を退けて、その知識を愚かにする。わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、【人が住むようになる】と言い、ユダの町々に向かっては、【町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる】と言う。淵に向かっては、【干上がれ。わたしはおまえの川々をからす】と言う。わたしはクロスに向かっては、【わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる】と言う。エルサレムに向かっては、【再建される。神殿は、その基が据えられる】と言う。』」仰られます。

 

天をさえ引き延ばされ造られた神様があなたの生涯をイエス様の命にあって広げられるのです。占い師さえ仰天させるような、驚くべき神様のご計画が、今御子イエス様の命にあってあなたに成し遂げようと神様はその愛を注がれたのです。ここで、まだ誕生さえしていない、クロス王の名前が出てきていますが、神様は未来さえ知っておられ、つかさどられる、その神様が今日、あなたの礎を、聖霊様があなたの内に住まわれ、復興させてくださるのです。

 

私たちは「天よ。喜び歌え。主がこれを成し遂げられたから。地のどん底よ。喜び叫べ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。林とそのすべての木も。主がヤコブを贖い、イスラエルのうちに、その栄光を現わされるからだ」と、イザヤのように宣言し、イエス様にあって現わされる神様の栄光、ご計画、そこに広げられる、成し遂げられる、あなたの命を広げられ成されるご計画に信頼し、離れず歩もう。神様は今日もあなたに両手を広げて待っておられるから。