ありのままの、で本当にいいの? | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

ずいぶん前になりますか、某ディズニー映画で、ありのままの~と歌われて、だいぶ流行りましたが、もしあの時、本当に好き勝手にありのままにしていたらどうなっていたでしょう。暴走で、命を奪いかねない状況でしたよね。

 

確かにありのままの姿で神様はあなたを招かれますが、ありのままでい続けたらどうなるのでしょう。

 

ティモシー・ケラー氏はこう言います。

神様は、私たちをあるがままの姿で招かれています。が、ありのままで留まるようにというわけではありません。
 


イエス様の元に来て、救いを、いのちを受けるように罪人であっても、全ての人が招かれています。けれど、罪があるままでいいというわけではありません。罪の赦しを受け、かつイエス様に似た者になる事を願っておられるのです。

 

さらに、神様から離れたところに神様の命はないし、神様はイエス様の命を持って買い戻すほどにあなたを愛し、もっと良いものを与えたい、と招かれた、招かれているのです。りのままでいい、なんてもったいない、もっともっと神様の御心を現してください、もっともっとより良い私にしてください、と祈ろうではありませんか。神様は喜んでもっともっと良い最善のものを用意し答えてくださるのですから。

 

そういう意味で、しょうがない、諦めよう、と「状況に対してありのままでいい」と諦めてはいけません。神様にはそれを変える力がある!