人生はとは〇〇だ | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

先日の投稿で、習うとは、白くなり羽ばたくこと、という事を書きましたが、それに関連し、

 

エッシェンバッハというドイツのピアニストはこのように言います。

「人生は学校だ」と。

 

学校というと毛嫌いするかもしれません。

でも、私たちはどう生きるかを学び続けなければいけないのです。

同じ場面、同じ戦いばかりではないから。

 

神様は、私たちを導き、共に戦い、歩まれます。

神様の前に私たちは白紙になり、神様の前に学び、聞き、また導かれ、歩もうではありませんか。

神様はあなたを救うためなら御子イエス様の命さえ惜しまなかった、それほどに愛し、取り戻し、新しくし命を得させようとされた、この愛に私たちは歩もうではありませんか。