沈黙されない方がいるからこそ、しない | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちがどうにもならなくなってしまうと、

心を閉ざすか、落ち込み、下手をすれば閉じこもります。

気持ちはわかります。私も若い頃、自殺を考えていたこともあったので。

 

でもあなたは一人ではないのです。

神様はあなたの心を聞いておられるから。神様は沈黙されません。

だから私達も神様の前に諦めるのではなく、沈黙することをやめ、祈ろうではありませんか。

 

あなたが、自分の祈りを“言葉”にできないとき、神様は、あなたの“心”をお聴きになります。

“祈りを言葉にできないとき”――どんなときに、人は言葉を失うのでしょうか。それは、あまりに強い悲しみや苦しみに遭ったときです。自分の悲しみや苦しみを、言葉にまとめる力がもはや残っていないときです。そんなときは、ただ天を仰いで、涙が流れるままにすればいい。神様は、決して冷たく沈黙しておられるのではありません。あなたの心の声を、つぶさに聴いておられるのです。そのときに――主の癒やしは、もう始まっています。そして“信仰”とは、悲しみや苦しみの中にあっても、そう信じて、大いなるみ手の中に、自らを投げ出すことです。

When you can’t put your prayer into words, God hears your heart.

ー小川政弘さん(元ワーナー・ブラザース映画会社の製作室長)ー