誇りの正体とは… | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

高慢な者は何かを所有しただけでは喜ばない。人より多く持って初めて喜ぶのである。人は金持ちであることや、頭が良いこと、見目麗しいことなどを誇るのだとわたしたちは言うが、実際にはそうではない。人は、他人よりもお金をより多く所有し、より賢く、より外見が良いときに誇りを感じるのである。人が皆同様に裕福で、頭が良く美しいならば、誇るものは何もない。人を高慢にするのは比較である。すなわち、自分は他よりも優れているという優越感である。競争心という要素がなくなれば、高慢もその姿を消すのである。

ーC・Sルイス(ナルニア国物語などの作者)ー

 

C.S.ルイス氏は↑のように訴えます。

私たちは決して優れているのではない、神様が私達を育て、養い、強め、導かれるのです。その前に誇れるものはなにもありません。

誰かをけなすなどどうしてできるでしょう。

神様はそれぞれにそれぞれへの贈り物を送ってくださったのです。

すべての発信源は神様です。

この神様の前に私たちは謙遜となり、与えられているものを喜び、誇ろうではありませんか。