人々は、何も見えない暗闇の向こうに大いなる光りがあるという事実以外は、何でも受け入れる用意があります。古い畑を汗水流して耕し続ける準備があります。・・・人々は有利な条件で取引をする神様には備えていますが、一日働いても一時間働いても同じ給与をくれる神には備えができていません。彼らはせいぜいイモリの目ほどの大きさの、からし種のような神の国には備えができていますが、鳥が枝にとまってモーツァルトを歌うような、巨大な菩提樹には備えができていません。どこか大きな晩餐会に行く準備ができていても、小羊の婚宴の夕食会に行く準備はできていないのではないでしょうか。
ーフレデリック・ビュークナーー
今年も様々なことがあり、暗闇の中を歩いているように感じるときも多かったでしょう。
しかし、一日一日を神様は備えてくださります。
神様が備えてくださります。
これ以上の希望がどこにあるでしょうか。
私たちは神様のなさることに大いに期待しようではありませんか。
希望がない、どうにもならない、ではなく、神様のみ心を表してください、待ち望みます、と祈ろうではありませんか。
みなさんの2024年が神様のみ恵みに満ち溢れた年となりますよう、お祈りいたします。
今年一年の全てに感謝して…