生涯盲目だったある女性の話と詩 | とある働き人の聖書のお話

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東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

ファニー・クロスビーさんという人は、生涯盲目で人生を送った女性でした。

彼女は1820年にニューヨークで生まれましたが、生後6週間のときに医者のミスによって失明してしまいました。またその医者も人の批判に耐え切れず夜逃げして、行方不明となりました。

さらに彼女は1歳になる前に父親を亡くしてしまいます。

しかし彼女は、祖母や母親の愛と信仰によって育てられ、8歳のときにこのような詩を書きます。

 

「私は目が見えなくても何という幸いな身の上でしょう。

私はこの世では不平を言わないことにきめました。

ほかの人たちが知らない沢山の恵みを私は味わいます。

目が見えないからといってどうして嘆くことができましょう。」

 

彼女はイエス様の十字架の愛を伝えるために宣教師となりたいと願いましたが、それは叶いませんでした。叶いませんでしたが、自分の歌を通して百万人の人をイエス様のもとに導きたいと祈りました。彼女は作詞によって得る収入のほとんどを貧しい人々に与え、天に召されるまでニューヨークのスラム街に近い貧しい家に住んでいました。

 

また彼女を盲人にしてしまった医者が、心を痛めていたことを知り、自伝に次のように書きました。

「もし今、私が彼に合うことが出来たら、伝えたいのです。私の目を見えなくしたことで自分を責めないで下さい。あなたにとっては失敗だったかもしれませんが、神には失敗はありません。私が肉体的に暗やみの中で生涯を暮らすことは神のご計画だったと信じています。見えないことを通して多くのものを見ることができ、神への讃美を歌い、他の人々を励ませる者にしていただいたのですから。私は世界中で一番幸せな者だと思います。今しばらくは肉眼で見ることはできませんが、でも天のみ国に帰ったその時、私はこの目で最初に救い主イエス様を見ることができるのです。神様はすべてを働かせて私たちに益として下さいます。この神の愛に満たされて、私は讃美しつつこの世の旅路を歩んで行きたいと思います。」

 

彼女は生涯盲目のままでした。でも詩の才能を与えられ、神様の恵みに深く感謝して、十字架に現された神の愛を歌い続けました。彼女の心はいつも信仰による喜びが湧いていたので、その顔は輝いていました。人々が彼女のそばに行くと、その喜びが「伝染した」と言ったそうです。

 

その彼女の残した賛美歌に「つみとがをゆるされ」というものがあります。

「つみとがをゆるされ 神の子となりたる

わが魂の喜び 比べうるものなし。

ひもすがら証しせん 夜もすがら主をほめん

み救いは妙なり み救いはくすしと」

 

そしてこの2番には「今、私の目の前は喜びの光景でいっぱいになります」とありますが、彼女はまさに神様のすばらしさを霊の目を通して見させていただき、また体験させていただいたんでしょうね。

 

私たちの霊の目がふさがれていて見えないこともあるかもしれない、しかし神様は確かに私たちに素晴らしい恵みを味わわせてくださっている、感謝ですね。確かに私たちにはできることは小さいかもしれない、でも私たちは絶えることのない神様の愛が注がれている、イエス様の十字架にあって回復されたこの命、そのうちに注がれる神様の御業に感謝し、歩みたいものです。