私たちは理想と現実にギャップを感じることが多いですよね。
自分の理想を持つのは確かに自由ですが。
特に神様に私たちが持つイメージと現実の間にそれを感じる人がいるかもしれません。
でも、ちいロバ牧師と呼ばれた榎本保郎先生はこう記します。
現実と神のことばとの間にずれがある。だから私たちは、そのいずれを、けれどもとか、しかしという言葉で埋める。その『しかし』には二つある。一つは、神が私を愛すると言われる。しかし、こんな暗い現実の中にあって、どうしてそれが信じられようかという『しかし』である。もう一つの『しかし』は大いなる『しかし』と呼ばれるもので、自分の現実は暗く悲しい、しかし神のことばだから信じようという『しかし』である。言い換えれば、人間の側に立って神のことばを裁く『しかし』と、神の側に立って人間の現実をこえていく『しかし』である。そして、そのどちらの『しかし』に立つかが、私たちの信仰態度を決定するものであるが、聖書はいつも、いつもその大いなる『しかし』に立って語っている。
さて、この「しかし」の前にあなたはどうするでしょうか?
神様は一緒に肥えていってくださる…
御子イエス様の命を差し出すほどに愛される方が。