時を見つけよう | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちは何かと忙しくします。

でも大切な「時」をないがしろにしてはいけません。

 

“時”を見つけなさい。

― 本を読む時。

―花の香をかぐ時。

―夢を描く時。

―友とコーヒーを飲む時。

―新しいクラフト(手の技)を学ぶ時。

―手紙を書く時。

―サプライズケーキを焼く時。

―どこか特別の場所に行く時。

―愛する人と、“心から”一緒にいる時。

―何もしないでいるいっときでもかまわないから。

 

どうですか、この愛すべきひとつひとつの“時”は――。「あ、これ、この”時”をつくらなきゃ」と思うものが、きっと幾つかあるのではありませんか? 現代人は、超スピードで過ぎ去る日々の中で、“自分の時”を盗まれてしまったようです。盗まれて“失った”のです。だから、強い意志をもって、失った時を再び“見つけなければ”いけません。

 

最後の2行が私の心を捉えました。「愛する人と“心から”一緒にいる」。原文でも大文字で強調していますが、直訳すると“本当に”です。一緒にいながら、次の仕事を考えていてはダメ。その時を“聖別”して、そのいっとき他のことは完全に忘れて、ただ二人、共にいることを楽しみ、慈しみ、感謝することです。

 

そして「何もしないでいるいっとき」! 私たちは、それすら失ってしまったのでは? ぼうっとして、真っ青な空を見上げる。あるいは次第に赤みを増しながら暮れなずむ西の空を見上げて、「きれい…」とつぶやく―。

 

ー小川政弘さん(元 ワーナー・ブラザース映画会社の製作室長)ー

 

私がこれを読んで思わされたのは「愛する神様と」心から一緒にいる時、これを忘れてはいけないということです。何もしないでいる一時でも、神様はあなたに語りかけ、慰め、励まし、またなにか素晴らしいことを思い出させてくださり、感謝に、希望に導かれるのではないでしょうか。

 

「時」が神様の最大の道具だ、とグレッグ・ハリス氏は言いますが、

神様があなたが捧げるその聖別された時間の中に素晴らしい何かを見せて下さります。私達はこの神様に大いに期待しよう。楽しみましょう。