名を得るのか、名を上げるのか | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「名」とは、私たち人間の決定的な本質・安定・価値・独自性を現しています。神が私たちのために、また私たちの中で働いてくださることを通して、私たちは名を「得る」のか、それとも自分自身の力で名を上げるのかどちらかなのです。

ーティモシー・ケラーー

 

私たちはイエス様の十字架によって神様の子と呼ばれる、その名が与えられる、本当のあなたになるのです。私たちは自分で名を上げるのか?それともイエス様の十字架によってその名を得るのか?どちらがいいでしょう。イエス様のいのちにあってあなたは新しくされ、建て上げられていきます。その手は誰の手なのか、日々思い、委ねようではありませんか。

 

「おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。」エレミヤ書31章4節