昨日の投稿(2つ↓)でも見ましたが、
裁く権利って誰に結局あるんでしょうね。もしこれがなければ、
ある意味で色々放置されて、ありのままでいい、なんて言っていたら、どうなるでしょう。
本当の意味でさばかれる「治めてくださる」神様に私たちは信頼したいものです。
そして、私たちのうちをも清めてください、と祈り変えられていきたいものですね。
ということで、今日は日曜日ですので、いつものようにしろくま先生の礼拝メッセージをシェアさせていただきます。良ければ聴いてくださいm(_ _)m
Ⅰペテロの手4章6節
「最後の審判に備えて」